120614

またひとつ歳が増えました。四半世紀を生きたことになる。おれが高校一年のときに2歳だった友達んちの犬はもう11歳。

とうぜん誕生日その日が境だったわけじゃないけどきっかけとして振り返り、不確かながら色々と自分に変化を発見する。喫煙習慣すらも10年目を目前に幸い深刻なレベルで体が重いとか息が苦しいとかいったことはまだない、内面の話をするのは自分を俯瞰する能力に長けた人がやるのでなければ不快感を煽るかもしれんけど、おれは、怠惰な部分だけが変わらない気がする。怠惰な部分は一生変わらない気がするし、その予兆として、もうそこは変わらなくていいやと諦めている自分に気が付いた。

感傷的になれる機会があんなに好きだったのに、最近ではふと切なくなるような時にはなんとなくそれに気が付かないふりをしてしまう。
暑くなってくるこの季節の中に一日だけ冷たい雨が降る、夏の終わりのような、これからもう寒くなってくるように錯覚させ身構えさせる日がぽつんと毎年にかならずあって、そんな日の夕方に家でシャワーを浴びてひっそりとした寂寥感を感じようとするような、それはひとつのたとえだけどそういった、感傷を積極的に嗅ぎに行こうとするのが、去年までは四季を通じてのおれの基本姿勢だったと思う。(もうひとつ最近意識したはっきりとした変化として、記憶する力ないし記憶しようと努める気持ちが減衰しているようにも思うので、去年までの話が結果的に捏造を含んでしまう可能性も大いにあるのだけれども)
昨日の寝起きに、ともかく目を覚まそうと風呂場に行ったとき、窓の外の青み灰がかった暗さに、しまった、と思った。これは、昨シーズンまでははっきりと意識の表層に捉えることのなかった種類の沈鬱さであったと思う。少なくとも20歳まではまさにその瞬間にこそ水を得る魚と言うべきひとこそが自分だと信じていたはずの、六月半ばの唐突にうすら寒い日の正午に。その感触をたどるに、きのう感情の揺れ動きに対して投げかけられた内側からの抵抗的な信号は、言葉にするならば、それがおっくうであったのだ、という風に感じた。

去年の今頃まで二年間、その間にひと月実家に戻ってはいたものの、世田谷に四畳半を借りて住んでいた。三和土にちょうどいいくらいのサイズのキッチンと、和式便所(遊びに来た拒食の友達が、すぐ近くのコンビニに行って帰ってきたおれに向かって、和式の便所は吐くのに最適な構造をしてる、と言ったことがあった)、それと、電話ボックスにそっくりなシャワールームがついてある部屋だった。そのクリーム色の薄い壁(恐らく、もともとその色だった。昼間に灯りを消すとその壁の一番薄い部分から太陽の光がうっすら透けてほのあかるかった。どんな構造をしてるのか建物の外から見ようとしたこともあったけどよくわからなかった)の電話ボックス風シャワールームで、しかし感傷に近付こうと試してみるものの手応えがなく、渋々諦めたときのやり場のない気持ち、いま思えばあれは、なぜわざわざ感傷的な気分など自分から進んで求めにいくのかという、その心的行為に対する根本的な疑問、言うなればいまはっきり捉えここで文字に起こそうとしている変化/成長の兆しを含んでいたように思える気分を、頻繁に味わっていたように思う。昨日の昼に風呂場で瞬間的に回復した記憶を、辿るまでもなく浮かんだのはあの世田谷の部屋のシャワールームの壁とそこだけ新しく付け替えたようなスライド式のドア越しの外の光だったから。

あの部屋はすごく好きだった。過ぎた時期のことを思い浮かべると甘美に映るのが、何割増しなのかはわからんが確かにその効果はあるとして、しかしたぶんおれはあの部屋とそこで暮らしていた時期のことを、まだもちろん幾らか(それでも人より多いのでは)残っている感傷趣味の眼鏡にかけなくても、あれは今までにおれの好きになった場所の一つだと自信をもって言えると思う。たぶんそう思う。覚えていることの総量が増え続けて行くうちに、忘れて行くこともその何割ぶんか生まれ続けていくとしても、何を忘れたのかも忘れてしまうから少しもダメージはない。このさき避けられず衝突する、新しい沈鬱さを呼ぶであろう感傷の気分も、おそらくこれから怠惰の分量を増してその分だけ太り鈍感になっていくはずのおれを脅かすものではない。
どんな喪失も宇宙からみれば小さいとかそんな理屈ではない、まさにその小さな世界の外を絶対に想像し得ぬ近視眼的生活の中にあって、おれはいまがなかなか幸せだ。