道にまつわる話あれこれで振り返るここ2、3日の話が導く希望の話

・道に沿在するオブジェクトカテゴリのうち俺がちょっと好きなものとして、自販機の次の次かその次くらいに挙がるのがコインランドリー。うちの近所(歩いて30分くらい、散歩コースの範囲)にジャブジャブという店名を看板に掲げたコインランドリーがある。そのぼろい看板を見たとき避けがたい爆笑の衝動に襲われたあと頭に閃いたジャイヴ・ジャイヴ・ジャイヴという曲のタイトル、minamitetsuかなんかで使おうと思ってたけど、ジャズに明るくない(謙遜ですらなく)(ていうかロックも詳しくない)おれがジャイヴなんて言葉、曲のタイトルに使ったらどんなところから嘲りの声が飛んでくるだか、恐ろしくて夜もおちおち眠れねえ(夜型だけど、まあ)と思って迷ってる。わからずにやってる無責任さが面白いと思えたらいいけど、自分、とにかく人の目を気にしますので…





・個人的怨恨が取り持つ・東京好きな道路ランキング、特に熱心に思い出そうとするわけでなく何も考えずに一番めに口をついて出るのが西東京を東西に長くつらぬく井の頭通り。その南東の先端にほど近い場所にあるライブハウス渋谷o-nestに店長としておわします我が心の友キシモトさんに挨拶しようと訪ねたところ、同じ目的で同じ時刻にフラリと現れたルロウニンゲン赤倉さんと偶然して、なんだかんだまとまった時間二人で話す幸運な機会を得ました。昨日、13日のはなし。
いくつか前のルロウズとのツーマン告知の記事の中にも書いたけどアカクラさんはおれにはある意味対照的な、音楽に強いミュージシャンでありシンガーソングライター(といって差し支えないと思う、言うまでもなくバンドマン、でありながらソングライティング、ボーカリゼーションともにそこらのうたうたいのそれを遥かに凌駕する能力の高さと個性を持った人)であり、つまりおれが相手取り一番畏怖し萎縮してしまうはずのタイプの人なので、仲良くなりつつある今が僅かに戸惑われつつもおれにとってこんなに嬉しいことはない、という状況。赤倉さんは将棋が好き、という話をしました。一時間ばかり話しこんでふと本来の目的を思い出し、キシモトさんと話を(二人合わせて二分で済んだ)し、8月のツーマンへの意気込みを改にし(その話も二分で済んだ)、お別れしたのでありました。
(その場でさらに偶然、樋渡ナヲタカ先輩a.k.a.ナオタカーニバルさんともかなりおひさしぶりの再会をしました)





・諸々の事情でアカクラさんと入れ違いにネストに現れたよしむらひらくバンド鍵盤ヤマダを伴って最終間際の電車その名も井の頭線を駆り、井の頭通りの重要な経由点吉祥寺へ向かい、そこから別れて各々一時間ほどの道のりを家まで歩いて帰ればいいじゃないかと暢気なことをほざいた駅改札、からふたりで一分歩いた辺りで激しい雨に見舞われ、傘も無い2人は楽しく途方にくれながら雨宿りを口実にたっぷりと話し込むすすみゆきになりました。
ヤマダという男とは、おれが彼について語りだすとこの更新ペースではブログ記事一年分かかってもまだおれに饒舌を持続させ得るだけの怨恨、もとい友情を10代の頃から互いに深めた間柄であるので、ここまで読み進めてくださる奇特な読者諸氏に対してもなお取り払えない遠慮から極めて(本来は傍点を打ちたいがやり方がわからないので太字)の荒い紹介をさせてもらうと、ヤマダというのは、思考の速度がおれより常に1/10秒だけ速く(いうまでもなく、思考の速度において1/10秒というのは途方も無く大きな差です。そして、それ以上でも以下でもなく1/10秒だけというのがとても重要です。もう一人高校時代の同級生でおれより常に1/5秒は思考の速度が速いオガワくんというのがいますが、こちらの場合はオガワくんにとって自分のレイテンシ1/5秒の思考速度が限界であるおれはまったく相手にならず、文字通りお話にならない、という事態が起こるのです。まあオガワはいいや)、非常に強靭な記憶力と、系統立てられた読書や健全な知的好奇心が鍛えた知識とで、つまり経験論の実践者であり直感を頼りに比較的泥にまみれつつ生きているおれとは、音楽において赤倉さんと成す対照的な位置関係を、互いの考え方、ひいては生き方において成している、かつそれでいて、感情というもののドライな捉え方/ウェットな尊重の仕方においておれと酷似したものを持っている、要するに大事なともだちです。
雨が上がるのを待つといいながらおおいに盛り上がる話に熱中し、熱中を通り越して戦闘ないし恋愛に発展してしまう恐れから切り上げ時をはかり合った結果、二時間ののち止まぬどころか勢いを増しすでに豪雨に近かった雨の中、コンビニで雨具(かれはビニール傘、おれは敢えてのカッパ)を買い、幸福な疲労感とともにそれぞれの家路についたのでした。
今日も今日でこの文体やっぱ癇に障るな。俺はうざくない文章が書けんのか。




そしておれは、12日ロフトのイベントが終わり荷のカチすぎたプレッシャーからも解放され、抜かり無く新たにプレッシャーをかけてくるスタッフの目もらんらん光っていることだし、と重い腰を上げて本業の引きこもり楽曲制作に再び本格的に取りかかろうかというところです。
12日のイベントで得られた経験はおれにとって本当に大きなもので、その余波の中揺られるままに高揚して過ごした翌13日の、価値ある二件の幸福感溢れる怠惰な長話(赤倉さんとふたりでじっくり話したことはそんなになかったし、ヤマダとおれは故あって最近までのおよそ三年間をほぼ顔を合わせずに過ごしていたのです)のエモさも力強く手伝って、明日からの(ほんとは今日からって思ってた)次作に向けた自宅作業もまた今までにない色合いを帯びたものになるだろうという希望に満ちた気持ちでいます。そうは言ってもやはりその希望は、つまりは気分にすぎず、頼りないもので、これを実際に出来上がる曲や詞にうまく反映させるのには、おれの苦手な音楽的作業というものを通過しないでは済まされないのです。それでも、おとといマサムネさんと交わした握手の感覚や、きのう赤倉さんにもらった驚くほど率直な褒言や、豪雨の中ヤマダと慎重に確かめ合ったそれでも明るい展望の中に、これまで生きてきたなかで考えてきたこと/感じてきたこと、また出会って別れた人たちが傷跡のようにおれに残してくれたものを音楽に反映させていく手がかりがある、という確かな手応えを感じることができているように思います。希望としかいいようのないこの重みのあるオプティミズムを得て、ひとが「生きててよかった」とついに口にするのだとしたら、おれはその一言を自分に特別に縁遠いものとしてきたこれまでの生活の意義や在り方そのものをいっさい否定も後悔もすることなく、それでも、その上で、今は生きていてよかったと心から言えること、そのことへの感謝を、一文前に名前の上がった三人を含む数えきれない大事なひとたちに捧げながら、今月いっぱいを引きこもり作業に充てて心身共にボロボロになる例のアレ(制作詰め)をやろうと思います。あー。がんばろ。