そもそもぉ〜生活が言葉を奪うよぉ〜


ブロガーを名乗っているわたくしですがここんとこ意思が言葉を発するまでに推進力を失ってついえがちという状態が続き、黙っていくえみ陵さんのまんがを読む事を生活の主軸に置いて生活していました。それはそれでいいものですが、未熟さ故に昇華させるに至らない欲求を溜め込むのは内側で何かがねじ曲がっていく原因になりそうなので奮起して、いくえみさんの作品を読む以外に最近してたこと考えてたことを、昔取った杵柄、箇条書き日記スタイルでしたためたいと思います。それってツイッターと変わらないんじゃ?そんなそんな、まさか。




よしむらひらくトピックとしては11/22渋谷、12/1梅田、12/2京都のレコ発イベント。気になってるなら、ともかく来てみたらいいんでない。軽い気持ちでもいんでない?チケット代はもらうけども。



・結果的に自殺した奴が一番思い詰めていた、とは思わんけどそこにエネルギーがあったんだろうなとは思う。自分を殺すって相当な仕事やん。そんだけのエネルギーがあればそれを頑張って生きていく方向に…とか10代の頃偉そうに語ってたような気がするけど、そういう話ではないよな。こういうこと言うと怒られるんかもしれんけど死んだ奴が間違ってたとは言い切れんとも思う、がしかし、そいつが死のうとアクセルを踏み込んだ瞬間の状態が、例えば病気のせいで平常とは言えないものだった、としたら、それはやっぱりやり過ごすべきものに引っかかってしまった、過ちだったという可能性もある、というふうに思う。
おれがいま現に生きてるってことは、既に死んだ奴の気持ちを理解できるとは絶対に言えない、というのは少し寂しい。



・人類は言葉を習得して、ともかく右も左も記号化、記号化、記号化の方向でやってきたという見方もできると思うのだけど、それって五感が鈍っていく要因になる気がするやん?限界(そんなんあるんかしらんけど)まで合理化が進んで人間の営みのすべてがオートメーション化する…なんていう未来を心配して芸術の責任とは!とか考える必要は少なくともおれには無いよね。はい。
でもおれは言葉を、社会の合理化の足を引っ張るために使いたいなあ、とさっき思った。




・おしるこ




・おれらの年代って音楽好きになったはじめの頃、CDというよりMDで音楽聞いてたって人多いと思う。最近のmp3プレイヤーより遥かに酷い音質のMDLP4とかで初期バンプオブチキンとかをものすごい積極的な姿勢でもはや情熱を持って聞いてたのが最初の音楽体験、って考えるとiPodサカナクションとかを聞いてるいまの10代なんかよりずっと耳は悪いんだろうな。レコードからCDへの変革をリアリティを持って想像することはおろか、CDと、最近の高解像度になってきたiPodとの狭間である、MDLP4から初期mp3プレイヤー時代に青春を過ごした我々の世代に、将来レコーディングエンジニアとしていい仕事をするような人の輩出は比較的少ないんじゃなかろうか。
そんな、もしかすると過去50年で一番耳の悪い世代になるかもしれない昭和の残り物であるおれも、先月にミックスの一仕事を終えてからこっち、(ピースミュージック中村さんに叱られたというのもあって、)これまでに無いくらい音質というものについて真剣に考えてる。その一ヶ月間で、とんでもなく音がいいなと思ったのが、(それぞれ別の意味で)ディランとaikoさん。
きっと大事なのは、そいつのやるべきことをやるだけ。



なんか尻切れだが今日はここらで。鼻が詰まってて何もやる気が出ない。