ぐわあ とくるアレについて

久しぶりに集まってスタッフらと新年会をやった帰り、チームよしむらは本当に業界のアナーキー揃いでいとおしく笑えるなあと考えながら、なかなか幸福な気持ちでした。おれにしても、反流行の姿勢であるとかいったことだけで高揚するほどもう若くもないのに違いはないのだけれど、自分よりも一回り二回り若くない連中が業界で飯を食いながら、それでもおれに何かしらの期待を寄せてそれぞれ違う場所から(レーベル、ライブハウス屋、フリー、元出版屋でチームよしむらはできている)集まって来てくれている、それは業界の中で相対的に見るならばはっきりとした即効性のある大きな力を持つ集まりではないけれど、そういうのもおれらしくて、好いな、と思いました。案件のあるミーティングではなく、ただ飯を食おう、といって集まったのも思えば一年前にいまのチームがスタートした日以来だった。それぞれが忙しく、なかなか言い出せるようなものでない提案をしてみて、よかった。例えばこのチームと一緒に、音楽シーンになんかしてやったと言えるようなものをおれが作れず、何も残せなくても今日のことを嫌な思い出の一部として思い出す事は、未来の自分の感情にとっては過去のものたるいまのおれの気持ちが何を保証できるというものでもないという事実を前にしても、無いのではないかと思います。
珍しく喉にきた風邪をひきずって歌った今朝のリハでがらがらになったすぐ裏返る声でげらげらと笑いたくさん話しました。



駅から家までを歩く間の道でふと、今日は夏のようだな、夏の夜の涼しい風が吹いた瞬間のようだと、味わいがあり、少し嬉しくなった。

高校生の頃が最後だったと思う。そのとき付き合っていた彼女(その当時は当然結婚する相手と思っていた、そのような年頃の話)との間で「ぐわあ」とくるアレ、と呼んでいた、感覚があった。「ぐわあ と切なくなる」という言い方もしたそれを、既視感に近いけどそれ以上の衝撃と説明のつかなさで、あんなにもはっきりと感じられて、遭遇するたびに誰かに言わずにはいられないほど嬉しく、あんなにも大事に思っていたあの「ぐわあ」の感覚を、忘れてしまった。

その彼女と、他の誰ともうまく話せる気がしないでいたその感覚に「ぐわあ」という名前をつける相談をし、完全に遮断されたふたりそれぞれ互いに別々の五感に、当然それぞれに違うタイミングで突然やってくるその感覚を「ぐわあ」と名付ける事に心からの賛成をし合い、喜び合うことができた、そういう相手がいたというその記憶がもしいま残っていなかったとしたら、今日おれがあの「ぐわあ」の感覚を忘れてしまっていたということも、思い出せなかっただろう。そしてそれは、その「ぐわあ」の呼び名が指すあの感覚の存在した事を、二度と思い出せなかっただろう、というのとほぼ同義。実際に今日の帰り道のある瞬間までもうずいぶん長いこと、その感覚の存在したという事も、それに「ぐわあ」と名付ける相談をしたという思い出のことも、すっかり忘れていた。その相談をした相手のことは流石に、存在まですっかり忘れるということはないとはいえ。

「なにかをなくす」と表現されて大げさでないと言えるような切実な喪失は、ほんとうには起こりえないんだろう、というようなことをおれは当然に考えるようになっていたように思う。そう考えるようになっていたからこそ、「アンチ・アンチクライマクスの鐘を取れ」なんていう歌詞を書く必要に迫られることもあったんだろうという想像は、少なくとも自分の内側で補完される文脈の上では容易につくから、“prayer”という曲を作った頃、手元ですぐ出せる記録によるといまから一年五ヶ月前の時点ではもう、おれの馴染みの思索のうちにそのアンチクライマクスはあった。だとすれば、その萌芽はそれよりさらに前のことになる。もしかすると2011・3・11とそれ以降の出来事の中でひとりネクラに知恵熱を出していた時期に重なるかもしれない。


続けて、自分の作った音楽に絡めて話すならば、“2012EP”にしてもそう言えるけれど、もっとはっきりと“2011”というCDRにまとめた通り、2011年という年におれが作った曲の中には地震津波で亡くなった人、残された・生かされた人(当然自分を含む・こういう、ある面から見れば激しい思い込みに立つとしか言えない視点からの表現が、すくなくとも当時の、またいまもその時期について思い出そうとするときの自分にはよく当てはまると思うので・恥ずかしながら、それがまったく誇らしくないとも思わない)のことに直接的に言及しているものが多いけれど、その中で、その事態の中にあってついに一瞬間退行現象を起こしたのかと今では思えるような幼い切なさとでも言うべき感情の中にあって作った曲が、“井の頭”というタイトルをつけられて今度発売される。
この曲はおれが「ぐわあ」という感覚についてこの上ない無邪気さで共感を繰り返し確かめ合った相手がむかしいたという事実を、もしかするといつか忘れるかもしれない、という、安堵と、それよりも大きくなったり小さくなったりする切なさについての予見めいた歌だったのだと、今日の帰り道にそう納得するということがあった、それはつまりこの歌に、おれがこれを作って一年半が経った今日になってもおれにとって切実な部分がはっきりとある、というふうに言える根拠だと思う。
そうしてその切実さが、今おれが疑い始めたその通りに、まっすぐあるひとつの喪失から繋がってきているのだとしたら、また一つこれまでの自分の考え方に対して自分で反論を投げかける、ひとり根暗にする考え事に新しい議題を与えてくれるというものでさえこの歌があった、と言えるんだろう。それはとてもとても、またたのしからずや、であると思う。

そしてその喪失のあとに連なっているいまのおれの生活には、いつかおれの「アンチ・アンチクライマクス」についての熱弁を受けて「じゃあおれはアンチ・アンチ・アンチクライマクスだわ」と返してくれるような新しい友達もできた。
今回のブログ記事のテーマをその言い方に無理矢理繋げて「アンチ・アンチ・アンチ・アンチクライマクス」とするとしたら、それはまだ青二才のおれに考えるべきことは限りなくある、という予感を抱かせるものではないか。終わりがない、というのは、確かな手応えであり、今のところの生きていく意味として据えるに足るものではないか。
自分の事を「残された・生かされた人」というふうに捉えた視点に立った表現をしたことがある以上、「おれの代わりに亡くなった人たち」の存在感を前に、そんなことを自分勝手に生きる意味として据えていきながらえていくことに耐え難い恥を感じる瞬間がくる事を恐れながら、またその恥とともにいきながらえていく覚悟をあたためながら、と言いつつまずは目前に迫っているよしむらひらくとしての新しいリリースであるCDの売り上げが制作費をペイするのかという可愛らしい、でももっと切実な心配を白状して、久々の長文になった記事を終えようと思います。



1/20下北沢でのライブに参加してくれる新しいメンバー・「ricca」リツコさん、プラハデパート/ルロウズじゅんぺいさん(20日は50分の演奏時間をもらっているので、弾き語りも交えてじっくりやります。)

届きました。