〜11/2・本音よ、最も美しくあれ、引き続き


引き続き同じ本から

「死にましょうよ」
太平は当惑した。愛情は常に死ぬためではなく生きるために努力されねばならないこと、死を純粋と見るのは間違いで、生きぬくことの複雑さ不純さ自体が純粋ですらあることを静かな言葉で説明したいと思ったが、キミ子の心はささやかれている言葉以外の何事をも見失った一途なもので、少なくとも感情の水位が太平よりも高かったから、太平は低い水位から水を吹き上げることの無力さを感じることで苦しんだ。死をもてあそぶ感動の水位などは長い省察を裏切るだけでつまらぬことだと思いながら、やっぱり水位の低いことが負け目(ひけめ)に思われ、腹が立ってくるのであった。キミ子は急に目をそらした。

いいなあ。


当然ちゃあ当然なんだけど曲を作り始めた頃の、歌を作る理由が今ではすっかり無くなっていて、それに気付いたとき、理由が無くなってからも引き続き歌を作り続ける他の選択肢を考えなかった自分の生活と、そうやって作ってきた歌とに必然性はとうに無かったのではないかしらと一瞬焦ったけど、それが明らかにあとづけこじつけだったとしても理由は無くなったのではなく変わったのだと、まあその辺はなあなあで生きていくんだからと、気付けばいつの間にか音楽活動全体がかろうじて黒字収支で回っている現状を一番喜んだ自分の本音を慰めて、いま生きているということはおれは今までに一度も死ななかったのだと、ひとまずそれをよしとしようじゃないかと。

(メールをもらっても返す意欲がめっきり弱くなり(メール大好きっ子だったのに)くうにひとりごちるようにブログを書くけれど、おれとしてはこのポストが、坂口安吾の引用が、先日もらったメールに対する返答に値する内容と思っている。これはでもたぶんいつかの歌を作ろうと思った理由と似て独りよがりで、なんだかとても懐かしい気持ち。誰と何を話してもきっと伝わらないのだろうなという気持ちを舌先で奥歯をなめるようにいつも確かめ確かめ、でも事実おれは人と話をしている。伝えたい気持ちが無いというのも本音なら、たぶん伝わるとも思っている。なあなあで、可能性よりも限定が行動を規定して、目標もそれに沿い、でも死にたいなんて思わなくなったよ、ちっとも。)

死ぬことが希望ならそれを好きに叶えればいいと思うけど、他人に対して死にたいなんて口にするのはこれはあらゆる恥と罪のなかでも相当重いものだと思うんだがどうか。そんなのはまずはじめに親に言うことだ。というか死ぬ前に親には死にたいと言うべきだ。それが平気で言えたらもうおれにはちょっとほんとにわからない。






引き続き録音中。死にたい人に向けて冥土の土産におれの思う本当のことを話すような表現をしたいけど、死にたいなんてぜーんぜん思わない人にも聞いてもらえるものになるよう気を遣って作ってます。
冗談です。つまり本音であり冗談です。


あ、品切れだったよしまる缶バッジ、また届いたので次のライブから物販にあります。一ミリも 儲けにならない 缶バッジ。




ちなみに、このあとキミ子さんは死にませんよ、当然。