12/1〜12/7

12/1(日)

夏からかかってた制作がひと段落したので日記風を再開。大事なおしらせが流れていかないように週刊ぐらいにしようかと思ってます。


快晴。早起きして気持ちいい。
スタジオローサ主宰として、レーベル初の流通盤リリースに向けて、一番煩雑な部分やわからないところは大いに人の手を借りつつも、なんやかやと今までやったことのない事務的な作業がある。数日前にマスタリングは終わったのだけれどISRCとPOSとやらを入れたマスターを作ってもらいに再びピースミュージックへ。せっかくなので気になっていた一曲だけマスタリングし直す。ピース中村さんは厳しくも暖かく、おれのミックスにダメ出しをくれつつきちんと音はフォローしてくれる。マスタリングでできること、ミックスで詰めておく必要のないこと、が少しずつわかってきた。が、もちろんまだまだ。
ともかく、音の完成は嬉しい。次のことを考え始める。
夜、歌詞やクレジットのチェック。あっという間に朝。

僕の仕事である文学が、全く、それと同じことだ。美しく見せるための一行があってもならぬ。美は、特に美を意識してなされたところからは生まれてこない。どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。ただ「必要」であり、一も二もなく百も、終始一貫ただ「必要」のみ。そうして、この「やむべからざる実質」がもとめたところの独自の形態が、美を生むのだ。実質からの要求をはずれ、美的とか詩的という立場に立って一本の柱を立てても、それは、もう、たあいもない細工物になってしまう。これが、散文の精神であり、小説の真骨頂である。そうして、同時に、あらゆる芸術の大道なのだ。

引き続き坂口安吾堕落論から今このブログを読んでくれている方々と共通の話題となり得そうな部分。どちらかというと表現するサイドの人向けか。

思うに文学の魅力は、思想家がその思想を伝えるために物語の形式をかりてくるのでなしに、物語の形式でしかその思想を述べ得ない資質的な芸人の特技に属するものであろう。
小説におもしろさは不可欠の要件だ。それが小説の狙いでなく目的ではないけれども、それなくして小説はまたあり得ぬもので、文学には、本質的な戯作性が必要不可欠なものであると私は信じている。
我々文士は諸君にお説教をしているのではない。解説をしているのでもない。ただ人間の苦悩を語っているだけだ。思想としてでなしに、物語として、節おもしろく、読者の理智のみではなく、情意も感傷も、読者の人間たる容積の機能に訴える形式と技術とによって。文士は常に、人間探求の思想家たる面と、物語の技術によって訴える戯作者の面と、二つのものが並行して存立するもの、二つの調和がおのずから行われ、常に二つの不可分の活動により思想を戯作の形において正しく表現しうることしか知らないところの、つまりは根底的な戯作者たることを必要とする。なぜなら、いかに生くべきかということは、万人の当然なる態度であるにすぎないから。

ここなんか、拳を突き上げて賛同したい。

読むのが遅いので同じ本からの引用ばかりになる。この本が特に短文引用しやすいというのもある。しかし当たり前のことばかり言う本だった。当たり前のことを当たり前の前提として共有したい、というもっともな内容で、それ以上のことは言わないようにしている感じ。読み手のついてくるスピードを強く意識しているような。そもそももとより同じ考えの人が頷いて結束を深め、対立する人の目には触れづらい、啓蒙家の永遠の命題ではあるが。そういう意味で無駄に派手に攻撃的だったりする、今で言うところの炎上営業なのか。違うか。いずれにせよ一貫して美しい考え方の人だ。頭がよくて、おれはあらゆる面でこの人の域には達しないんだろうな、とほぼ事実を確かめるくらいの確かさで考え、その諦めが結局安心に繋がっているなあと思う。自分の器に期待してそれを広げていこうとすることは古い自分を殺し続けるきつさを伴うもので、よっぽど元気があるときでないとそんな風には、10代の頃のようには信じ込めない。

次読むもの決めてないから、お勧めのある方はどうか教えてください。






12/2(月)

晴れ。だと思う。夕方まで外に出なかった。
引き続き事務作業。チラシとかグッズとかも含め大きくない業者にお願いすることが多く、しかも大体スケジュール費用ギリギリの中でのやりとりなのでちょっとスリリング。そっちの世界にはそういうことがあるのかーと感嘆があったりもする。

次どんな作品を作ろうか、考えている。友達の金のかかってない自主音源を聴いたりして考える。
おれの今度出るCDのデザイン関連の手引きをしてくれてる音楽と人金光編集長の、CD作るにも、装丁とかそういうとこちゃんとしないと伝わらないからね、という言葉がけっこうグサリときてる。音楽の間口を広げる、とかいうのにも通じる話で、わかんねえやつには伝わらなくていいんだよこの野郎と思ったりもするけど、些末だからこそ聴く人のために最低限整えておかないといけない枝葉の部分というのは、特にポップスの場合確実にある。ただその最低限のラインがちょっと高い気はする。高いってのは、ちゃんとしようとすると、少なからずお金がかかる、の高さでもある。知恵と工夫でなんとかする、というのも重要かもしれないがゆっくり曲を書いたり散歩をしたりたくさん寝たりとりとめのない考え事をしたりする時間をそのために削るのは嫌だし、その辺やりくり器用になろうとするのは、おれの役割ではないかなあとも思う。ガラじゃないというか。事務作業も楽しいが、連絡を待ってたり連絡を待たれたりしている用件が一つもない時間がなんだかんだ一番いい。

深夜、翌朝までPVの作業。帰り道に曲が浮かんだので鼻歌で携帯に録音。レコーディング中にはこういうこと一切なかった。自然と切り替わってるのが嬉しい反面ちょっと不自然なことなのかも、という気がして気持ち悪い。




12/3(火)

朝も遅くに寝たのにすぐ目が覚めた。快晴。秋葉原でソロ。共演者がみんな馴染みで、無駄な緊張しないでやれそう、と思っていたらやる前に笑止千万な勘違いを積極的にぶつけてくる輩がいて怒りを抑えながら舞台に上がる。二曲め以降はバランス取れたしむしろいい歌を歌えた。が、揺さぶられているおれはまだまだ、本当に青いな!

偉そうな私感(視姦)。
アラカキは一昨年に一緒に行った福島で神懸かり的なライブを見て以来、たまにライブを見てもあの日に比べるとな、という風に感じてしまう。当時はオルタナ感強く今はウェルメイドポップスって感じに音楽性自体が変わってる(これも主観だが)のだけど。
ニシハラはやる気がなく、酔っ払っていて、それ自体は悪いことではないはずだけど今日はプラスの効果を生んでなかった。たぶん憂歌団?のカバーは前に見た時もすごくいいなと思った。センスがいいからこそ自分の足りない部分にばかり目が行ってすぐ絶望しちゃう人なんだと思う。共感して涙が出るほどだけどもっとちゃんとやれよ、と思う。
大森さんは詞曲は残像カフェ時代の方が断然おれ好みだけど歌がむちゃくちゃよかった。グッドマン鹿島さんと2人で礼賛。大森さんの音楽に対して鹿島さんとおれとではぐっときてるポイントは微妙にずれてるけど、違う視点からそれぞれ良い部分が見えるってのこそクオリティが高いってことだと言えるのかも。鹿島さんは大森さんのライブを若いバンドマンにどんどん見せたい、と言ってたけど、ある若い人が大森さんに興味を持ったとしたらその時点で鹿島さんの言う意味での大森元気を見てみて欲しい、と言われてしまう要因はクリアしていると言えるんじゃないか、と捻くれたことを思う。
インディーミュージシャンのコミュニティ感はおしなべて嫌いなおれでも、友達ばかりが出てる日は自然と楽しいなと思ってる。その矛盾についてよく考えようとしてみたもののバカらしくなってすぐやめる。おれがバカだからだ、で片付けていい程度の問題。
もう誰にもライブに来てくれとは頼むまい、いいライブをし続けよう、と心に決める。どうせ瞬間の気分だがその連続で人生全体を繋げて捉えることも可能だ、とか意味のないことを考える。そんなの関係ない、いい時はいいしよくない時はよくない。地力を上げるのみ。
いつもの感じで待ち合わせてヒョウリとラーメンを食って、二時間くらい歩いて帰宅。家に着く頃には手指が冷え切って携帯も一切操作できないほど。きつい季節が来た。はじめなかおわりを録ってくださったエンジニア杉山オサムさんから甘すぎず優しいメールをもらう。流石だなと思う。今はおれは優しさというものにそんなに興味の無い時期。すぐにまた調子は変わり優しくなりたいと言い出すはずだけどそのどちらもおれ。振れ幅の両端を常に視界に収めて語らずとも中庸を体現したいというのが理想ではある。最近はちょっといちいち意識的すぎるかと思う。全ては気分だ。意思なんてものは不純だ。





12/4(水)

曇り?外に出たのが日没前だったのでよくわからない。

みんなそんなに他人に甘くて、友達できすぎたりモテ過ぎたりして大変にならないか?と思う。でもみんながみんなそうなのだとしたら相対的な価値はないのか。おれは全部の人に対して期待はしながら依存はしたくないと基本的に思う。信じてないってことになるのか、わからんけど、そもそもおれも依存しまくっているのに気づいてないだけというのもおおいにあり得る。

特に書くことなし。今日はスニッカーズ一本しか食べなかった。食べるタイミングを逃し続けただけで、それで平気な時は全く平気だ。明日はジャケットとアー写の撮影。観光地に行く。





・12/5(木)

またしても快晴。音楽と人金光さん、写真家喜多村みかさん、セントラル67木村さんとASAKUSA観光。楽しかった。おみくじをひいたら大吉で、内容も逆に投げやりに感じるほど、この上なかった。たぶんこれは年内に限り無敵状態というお告げなんだ、と受け取る。おみくじの有効な期間はどれくらいなんだろうか。初詣で引く慣習を考えるとその年いっぱいなのかと思うけど、せめて設定があるなら知りたい。リリースは来年なんだよ。
喜多村さんとは初顔合わせだったけど、すぐ好きになった。
撮られるとやっぱり突きつけられる、自分の顔はあまり好きじゃない。中身との組み合わせ相性もよくないと思う。




・12/6(金)

昨日の夜突然体調が悪くなり、けっこうやばい、泣けてくる、風邪だ、死にたくない、と思ってたけど寝て起きたらすっきり。一区切り付いたと身体が判断したのか。そういうの年に1,2回ある。まだPVの編集が終わってないからそんなに区切りでもないけど。

今日も今日とて好天。早起きして犬の散歩。春のような植物の匂いがして、午後も暖かく、感動的に生活する。
ときメモのジャケットにイラストを提供してくれた上に結局入稿まで全部やってくれた辻さんにお礼のときめきTシャツを送る。今まで一貫した内柔外硬感で押し通してきたよしむらデザイン面(よしまる除く。ああ、あれはゆるキャラだ、今気づいた、くそ)に一陣の風が吹いたという感じで、非常に好評で、嬉しいです。みなさんも辻さんもどうもありがとう。

夕方えもいわれぬ無力感と久々のヒマさで困惑するほど、風呂わかして入り、上がって夜中まで寝た。夜中に目覚めた時のあの感じで一層困惑して、いつもひとりで行く近所のラーメン屋に行った。

色んなニュースを横目で見て、未来のためにおれにできることがあるとすれば次の世代を作らないことくらいじゃないかと思うのだけど、例えば友達に子供が産まれたら祝福したい気持ちも本物だったりする。ほんとにただ考えるのが面倒なだけなんだなおれは。色々あるけど頑張っていこうという気持ちと面倒だから全部無しで、っていう気持ちが拮抗し続けてる。一方では音楽作るのに寝ないで頑張ってそれでも満足のいくものができるわけではない、かと言ってもうやーめよ、とはならない。音楽好きなんだなー。




12/7(土)

晴れ。寒い。やっと一週間分か。ようやく更新ボタンが押せる。
今朝も結局いつもの時間くらいに寝て、いつもの時間くらいに起きた。途中いちど親父が癌だと言われる夢を見てボロボロ泣きながら目覚めた気がする。昨日ラーメン屋のおやじさんと癌の話をしたからだ。吉夢だとしたらとにかく年内おれの運勢は最強っぽい。占いは別に信じないが云々というのはけっこう前にブログに書いた気がする。

撮ってもらった写真が上がってくる。きれいな画ばかりですごく嬉しいが自分の顔にムカムカくるのは一昨日書いたとおり。写真のセレクトを自分でやる、ってのはミュージシャンの避けられないダサい作業のうちのひとつだ。なんだかんだ楽しいが、写真を撮ってもらったという嬉しさ以上に楽しんでるおれがダサい。

夜中、朝までPVの編集作業、渡邉和義と。今回脚本&監督面がおれ、助監督という体で実質的にほぼ全ての作業渡邉、出演はメンバーと仲間たち。なかなかいいものになりそう。撮影の日に身体張った甲斐があった。
6:00過ぎ作業終盤になって、日付変わって今日は昼から夜中まで詰まってる日だったということを知る。いま8時前。寝ます。


来週からはもっとコンパクトになると思う。たぶん。わからない。