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12/22〜12/28

12/22(日)

朝、東京駅発のバスで仙台へ。
阿武隈PAは残り雪があったし途中雪が降ったりもしてたが仙台に着いたら雪はなく、薄曇り。12月の仙台、と思って厚着してきたけどよく考えたら滞在は8時間だけなので屋内にい続けたら特に準備してくる必要はなかったのか。

会場のパンゲアは初めて。イベントに呼んでくれたますみさんから木の床が好きと聞いていたのを思い出す、雰囲気のある小部屋。
着いたらちょうどゆーきゃんのサウンドチェックが始まるところで、今日はベース田代さんとふたりということで久しぶりに会えた、おれは田代さん大好きなので嬉しい。

次々に友達が来てくれて、開演まで静かにやんややんや。

演奏時間を長くもらったのでたくさんやった。9曲くらい?海の見える街を仙台でやるのは、かなり試練というか、地震のあとはじめに仙台に来た時には臆して歌えなかった、今でもとにかく、怖い。あれはなんだかんだ言って東京にいたおれの歌だ。今日もビビりながらやって、無事にやっつけられた感。それでも見てくれた人がよかったと言ってくれたら、おれが救われたような気分になる。そういう意味でもおれのための歌でしかない。ありゃエゴだ。でもおれにとってはもともと歌はエゴでしかあり得ない。ときどき同時に他のものにもなることがあるような気もするけど、それでもエゴでなくなることはない。
あとは変わりダネとしてはワールウィンドをやった。弾き語りをやれるだけやれと言われたら、バンドでやってる曲を除いても一時間は必要だ。最近弾き語りでは時間が足りねえなと思うこと多い。
トリのゆーきゃんが終わって、ゆっくり話すほどの暇はなく、バスの時間に急ぐ。帰り際、やっと雪がちらちらと。モンゴルに行ったとき、帰りの空港に送ってもらう車で、五日間くらいの滞在中降らなかったのが(おれの行く前から、その年は雨が遅くて、田舎の方では本当に困っていた)ようやく降り出した雨を指して、別れに空が泣いているんですよ、とバータルフに言われたのを思い出した。全然関係ないんだけど。

仙台滞在時間8時間弱。こういうの慣れてるけど、やっぱりゆっくりしたいよな。




12/23(月祝)

朝五時に着いた新宿は薄曇り。ホストのみなさんに紛れて一人で天一食ったり漫喫でシャワー浴びたりなどして七時まで時間を潰してメンバー集合、リツコさんの運転で京都へ。早く着いたので漬物バイキングというのを食べた。
26時間のうち18時間くらいを占めた移動疲れもナノ店長モグラさんの顔を見て癒される(おれは免許ないし乗せてもらってるだけなんですが)。
愛すべきナノのステージは狭いので背中のすぐ後ろでドラムが爆音で鳴ってる。ギター西田がいないので立ち位置を変更、パーカス金川を前衛にした。面白い。

対バンはおれより若いバンドと一緒にやりたいです、とモグラさんにブッキングをお願いしてあった。自分より若いひとたちと一緒にやりたい、という、思い付きにしてもそんな気持ちは初めてで、そういう、自分としても確信のない気持ちをを迷わず預けられる人は東京まで含めてもモグラさん以外にない。京都のインディーシーンにも派閥やグループがあるし、モグラさんも味方ばかりじゃないだろうけど、そういう話の上でおれは何があってもモグラさんに与するなんてことは言わない、でも一対一の中でのことならしんから信用してる、数少ない人。
結果、思い付きはモグラさんともちろんそれぞれのバンドのおかげで大成功だった。東京でもこういうことやりたい。若いバンドに踏み台にされつつ足掻いていきたい。いうほど年取ってるわけじゃないけど。
自分のライブ、気持ち良くやれた。感謝、ただ感謝。
キツネの嫁入りマドナシさんひーちゃんさんも来てくれていた。

すぐ東京へ帰る。京都の滞在時間も10時間なかったと思う。




12/24(火)

早朝新宿に着いて解散、さっさと家に帰る。疲れきってはいたが寝る気にもなれず、昼前までだらだらしてから夕方まで寝た。
起き出して、ぜんぜん体がすっきりしないままおかんと犬とノエルの食卓を囲む。

夜、大好きなバンドのメンバー脱退の話を聞く。そういうのにショックを受けるたちでもないけど、おれにとってそのメンバーのそのバンドは大きすぎるくらいの存在だったので、うまく飲み込めない。

別れはたぶん誰よりも本人達にとって意味が大きく、本人達のためのもの。外野ががちゃがちゃと知ったようなことを言うのはほんと愚かだ。




12/25(水)

まあ晴れ?曇り?冬の天気。
通常営業。ヒョウリと麺。共通の知り合いに勧められたのでいつもと違う店へ行ってみたけど、まあいつもんとこにすればよかった。ある種の習慣というのは変えない方がいいな、と、学習しねえな。まあ勧められたものを試してみる、ってのはいい。そもそも食に執着がない。特別うまくなくても腹立ったりはしない。
ラーメン食べる前に、おおもりせいことそのバンドメンバーの高野くんとばったり。泥酔の高野くんが開口一番おれのブログについてつっこんできて、ひやっとする。高野くんの言うことの的確さは酔ってても相変わらずだけど、おれのことを怖そうに見えて実は愛に溢れた人間だと言ってくれたのは、どうなんだろうと思う。嬉しいけど、ヒョウリも横で、どうかな〜みたいな顔してた。
誰よりも優しい人になりたいという思いは真ん中のあたりに当然ずっとあるけど、そのためには優しい言葉はそうそう使えない、ニコニコもしていられない、優しさと甘さは違うというのは信条としてある。でも考えるより先の優しい言葉こそ、ともかくニコニコしていることこそが優しさだと思い知る場面もある。おれとて優しい言葉に今までどれだけ助けられてきたことか。優しくあるためにはそもそも強くあらねばならんしなあ、そんなこと考えながら沈み込みつつ帰る。10代の頃から基本的には変わらん。筋力は落ちてる。



12/26(木)

相変わらず冬曇り。夜雨。
事務作業、連絡で少しバタバタする。

友達の友達から間接的にDVの相談。非常事態は素人考えで対処せず専門家に任せよ、というのがおれの基本姿勢ではあるけど大概の場合日常と地続きグラデーションしていて、なんだかんだ言って大丈夫でしょという楽観も個人レベルで考えるとアイデンティティとも関わるかもしれない大事なものだ。ともかくむつかしい問題だ。自分自身の気持ちすら自信持ってわかるとは言えんというのに。おれにはなんとも、とできるだけ雄弁に言葉を濁したのみ。




12/27(金)

小雨、ひどい曇り。でも最近は気圧頭痛はない。変化がゆっくりだからか。

一日休み。手帳を買う。今年のはぐうぜんおかんとおソロだったというのを踏まえて、来年のもおなしのを買った。連続でチョキ出せばどうだ、的な。
ついでにコート買おうと思ったけど服屋のコーナーに入った途端恐ろしくなってしまって(そんな大袈裟なもんじゃないが、いつものこと、面倒すぎて)逃げ出す。買い物はとにかく苦手だ。

やはりある程度は成長しているのか、憂鬱症をやっても回復の兆しを感じる瞬間を喜ぶようになっている、すぐにどうにかなるもんでもないとわかっているので手放しの幸福感ではなく、貴重な食料をゆっくり咀嚼するような。
憂鬱自体を進んで迎えに出ていたような頃もあったけど、そういう人がもし読んでいたら言いたいのは、周りの人にすごい迷惑だよそれ、ということ。おれは大事なことをひとに相談する癖がないので、それはそれでまた大きな迷惑をかけることかとも思うけど。
結局人はひとりだ、というのは支持派です。愛情とは孤独をわけ持つこと以上のものではない、とも。連帯は仕事をするのに必須なのだろうけど、仕事というものに関しては大学一年生くらいのレベルでの認識しかない。音楽をやって生活を成り立たせる、というのは人が働いて稼いだお金を少しずつ分けてもらうことだと考えているので、いまのところ仕事とは言えない。共感してもらいづらいシビアさはもちろん毎日24時間感じ続けているけれども。愚痴ではないよ、もちろんほんとにおれは幸福だと思ってる。

- そうですね。永遠に近いある時まで生きたとしても、その時、この人物にまだ感情があれば、死ぬのは厭だ、もっと生きたい、と思うかもしれないですね、とカジはギー兄さんの話が余裕をかれにもたらしたしるしに、ユーモアを恢復していった。それだけ永く生きていれば、生きていることに慣れてしまっているだろうし……
- あはは。飽きあきしているだろうけれどもさ。そこでハイスクールの生徒の私が考えたのは、永遠に近いほど永い時間が問題じゃない、ということだったのね。そうじゃないとしたら、反対に、一瞬こそが問題となるのじゃないかとさ。そこからさらに続けて考えてゆくと、永遠の少し手前、ということを考えたようにね、一瞬よりはいくらか長く続く間、という言葉がね、自分の感じとっていることに正確だと思えてきたんだ。

(中略)

それはこういうことが考えられるからだよ。もう一度、ほとんど永遠に近いくらい永く生きた人間を想像してみよう。それこそ大変な老人になって、皺だらけで縮こまっているだろうけれどもさ。その老人が、とうとう永い生涯を終えることになるんだ。そしてこう回想する。自分がこれだけ生きてきた人生で、本当に生きたしるしとしてなにがきざまれているか?そうやって一所懸命思い出そうとするならば、かれに思い浮かぶのはね、幾つかの、一瞬よりはいくらか長く続く間の光景なのじゃないか?そうすればね、カジ、きみがたとえ十四年間しか生きないとしても、そのような人生と、永遠マイナスn年の人生とはさ、本質的には違わないのじゃないだろうか?
- 僕としてもね、永遠マイナスn年とまではいいませんよ。しかし、やはり八十年間生きる方が、十四年間よりは望ましいと思いますねえ、とカジは伸びのびといった。
- 私もカジがそれだけ生きることを望むよ、というギー兄さんの方では、苦痛そのもののような遺憾の情を表していたが。

- もしそれがなかったら、あしにもどちらが正しいかわからんのやし、もともと他の人にどのようにみえておるかはわからんのや。たとえばな、ギー兄さんがメートル原器をな、眼に映るものとして、どれくらいの大きさに感じておるものか、あしにはわからんよ。……こういうことが気になるのは、幼稚やとも思うのやが……
ギー兄さんはやはり眩しそうにカジを見おろして、黙って、考え込むようだった。カジはそのギー兄さんを見上げているけれども、そう感じられるのは低い枕にあずけた頭がたまたまその角度を保っているからで、目はゆったりと閉じているようにも見えた。
- 感覚の共通性ということだとね、カジ、……自分がどう感じているかということを、他の人間がどう感じているかということと比べる方法は、厳密にいえばないのじゃないか?とギー兄さんはずいぶん時がたったように思える後で答えた。きみは少しも幼稚じゃないよ。私がこれくらいのもの、と感じている量と、きみがやはりそう感じている量と、対象の実物は示し合わせえても、その感じということを比べる仕方はないものね。遠く小さいのと近くて大きいのと、きみがふたつを比べられるのは、その両方を自分ひとりで感じることができるからで……
- そうしたら、あしが苦しいと感じておるのと、ギー兄さんが、これまで自分で苦しいと感じたことで見当をつけるのと、ぜんぜん違うかも知れんなあ?虫が苦しんでおるのを見てもな、虫の苦しみ自体を感じてやることはできんのと同じで。虫は痛みをよう感じんのやないかと思うてみる程度で……
ギー兄さんはじめ病室にいるすべての者が、息をつめるようだった。しかしあらためて肺に酸素をゆっくり補給するようにして、カジが話し続けた言葉は、私たちの受けとめ方とはまた別のところに、かれの問題点があることを示していた - 後からミツが、あれは自分のいったことでみんなが困っているのを見て、病状が急進行してから小さな神様のように優しくなったカジが方向転換してくれたのだ、といったけれども - 。
- 遠くに小さく見えるのと、近くで大きく見えるのと、そのように受け止める感じ方の量がはっきりせんのやったら、あしが研究して、その量を量るやり方を定めてやろうかなあ?そうしたら、その量の単位に、kajiというのが使われることになるでしょう?……しかしあしには理科系の頭はないし、もう研究の時間もないしなあ……
ギー兄さんは、あいかわらずカジを見おろして口ごもっていた。生真面目な性格として、いや、きみには理科系の頭もあるよ、とは言いえても、時間も充分にあるとはいってやれない、ということなのだろう。 - なぜそこまで励ましてやらないのか?と私は胸のうちでブツクサいってみたが、涙目で打ちしおれているギー兄さんのことはとても咎めうるものではなかった。いったんこれだけの言葉を話しおえてしまうと、カジは枕の上で弱よわしく頭を据えなおそうとした。それにミツが手をそえてやっていたが、おかげで私にも見えるようになったカジの黒ぐろとした眼は、そのまま眠り込んでも不思議でない穏やかさ、透明さで頼りなかった。


ともに先週読み始めた大江健三郎「燃え上がる緑の木」第一部から。今日いちにち本を読むことと音楽を聞くことしかしなかったので引用上は本の前半、引用下は本の後半から。引用上は山奥の村で急速に救い主とみなされはじめた男が、死病を患っている少年を奇跡で治療するためにはじめに訪れた時のやりとりの部分から。引用下はのちに既に救い主としてまつりあげられている男が、ついに死の直前の親しい友人となった同じ少年と交わす会話の部分から。




12/28(土)

玄関を開けた時に圧力の関係で通った風が一瞬だけ春のようだった以外、冬の晴れの日。夜、寒い。

来年三月のレコ発とその後の流れについての打ち合わせ。叩けば応えてもらえるのか、というのよりも、応えてもらえるかどうかはこちらの叩き方次第にかかっている、という姿勢で。

本屋で「燃え上がる緑の木」第二部と第三部を見つけて買う。第一部読了、第二部を読み始めた。

今週は遠征に始まり、人より少し早く年末休みに入ったという感じの一週間でした。