2/16〜2/22・雪 / 戦争 / 人が怖い

2/16(日)

晴れ、あったかい。昼間雪かき。

東京にはこのくらいの雪でも何十年ぶりなのかって改めて考えて、まあこんな雪でも何十年も降らなきゃ対策してないからそりゃ大変だよなあ。山梨も同じように対策のないところにこの何倍かの雪が降ったんだな。どうか無事で。


先週書いたことをあっさり取り下げたくなるような。覚悟なしで書いたわけじゃないが、おれの想像力の限界か。

昨日から夜通しワンマン特典の録音。つっても今日はほぼ楽器使わずのリミックス的な作業ばかり。himajinのリミックスがかなりうまくいった、何度聞いても爆笑しちゃう

ワンマンの曲順決め。大変だけど、こういういちいちが楽しいのはワンマンならでは。



2/17(月)

晴れ。あったかい。昨日雪かきしたとこが凍らなくてよかった。夜寒い。

特典の録音をひたすら。ほんとに楽しい。音楽つくんのが楽しいってのを思い出せただけでもこれ作ってよかったと思う。曲順も結局アルバムとは大きく変えることにした。いい感じ。



2/18(火)

晴れ。日差し強いが寒い。雪解けつつ凍りつつ。ただもう春の予感がする。今年は春が来るその日朝起きていたい。今から早起きの習慣をつけるか。


立派でもあり愛らしくもある造りのその聖書は、共同訳聖書実行委員会のメムバーである学者から、K伯父さんに贈られたものなのだった。これまでにも幾度か書いた「信仰を持たない者の祈り」というK伯父さんの公演がテレヴィで放映されてすぐ、当の老泰斗がそれを送ってくださった。オユーサンによると、専門家を敬愛するだけコムプレクスも強いK伯父さんは、その好意を、強者からそれも自分の弱いところにジャブを繰り出されたように受けとめて塞ぎ込んだ。無信仰の者には無信仰の者の自由もあるはずだし、それも相当に苦しいものだ!と棄て台詞まで吐いていたということである。ところがしばらくたってその学者が亡くなられ、K伯父さんも愛読している聖書研究者の高弟の方から追悼集会への誘いの手紙をいただいて、K伯父さんは新たに悄気(しょげ)込んでしまった。書棚の隅の美しい聖書まで重荷となっていた次第。


ほったらかしにしてあった大江健三郎「燃え上がる緑の木」第二部から。どうしてもこういうとこ抜き出したくなる〜。

ここ3,4日なかなか気分いい。
店でかかってた元々嫌いだった音楽を、何度聞いても本当にひどいなと思っていたら、隣でこれなんてバンド?超カッコいい、という話をしているのが聞こえて、わかってはいるけれどということを目の当たりにする気持ちをしばらくぶりに味わった。例えば日本がこのままいくら右傾化して軍国主義に向かっていったとしても種の多様性はある、ダイジョブ

戦争になったら逃げる



おれの意地や、表情や、考え方や、嫌いな音楽の判断やらは、当然だがだいたい自分の美学に従っている結果の在り方なのだ、と思う。もちろん知らない間に、例えばお金がないからとか、寂しいからとか、消極的で不本意な理由のためにこじつけて自分を納得させて、審美眼を曲げているということも少なからずあるのだろうと思う、思うけれども、いずれにせよ自分の美学について精査こそすれ、結局は最後その根本を疑いながらにはとても生きてゆかれない。
当然嘘をつく。でも嘘をついたことは覚えておかなければいけない。ほっておくと驚くほどなんでも忘れていく。忘れてはいけないと考えたことも忘れる、忘れることには抗えない。
努力の一つの形として、抗えないものに抗う、がむしゃらにというだけでなく、代替手段を立てるなりして、方法についての美学は捨て、結果を取るために、ということが求められることはよくあると思う。自分が変化していくということを肯定的に捉え続けていけるなら(つまり、例えば今のおれのような年齢になっても、変化と成長を同義とみなす根拠もしくは勇気があれば)、何かを忘れるということに否定的な気持ちをもつ必要もないし、忘れた内容については忘れるようなことだし、としてそこに拘泥せずやっていけるのかもしれない。しかし3,4日続けて少し気分がいいくらいのことで喜んでしまうような、今おれの有り様だからなあ
自分で決められるもんじゃない、自分の人生については、と極端な言い方をして、しかし悲観にも楽観にも振り切らず両者同居しうるという意味でおれにとっては強い説得力もあったその言葉を、しばらく口の中でアメを転がすようにしたあと、やはりアメのようにいつの間にやら溶けてなくなっていた、ついこないだの話。
しかし。それでは自分の美学はどこからやってきたのか?ということになるとどの方向で考えてもその源泉の在りかは推測の域を出ない。ひどい話じゃないか。自分の記憶にはっきりとは残っていない時代、幼少期の、たとえば育てられ方だとか、そういうものによるのだ、だから今さら自分の意思でどうこうできる問題ではないのだ、という考え方は意識過剰というか、思考停止というか、少なくとも建設的ではない、と思う。まあ、代わりの可能性を提示できるわけでもないのだけど。今まで出会った全ての人、起こった全ての出来事、全ての時間が今の自分を(この話の場合自分の美学を)作っているのだ、というのも事実ではあると思うけど、詩的な気分に寄り過ぎていて、同じく思考停止、ただの言い方だそりゃ、と思う。恐ろしいことには、例えばお金がないからとか、寂しいからとか、消極的で不本意な理由、というやつが、いまある自分の美学の大半を形成する装置になっていた、という可能性は否定しきれない。それでも、もしそれが今では既に全体の0.1%とかに発露しているにすぎなかったとしても、源泉と呼ぶべきものはどこかに確かにあったはず。だと思う。

どんな話をしても突き詰めると、わからない、となる、それはつまり記号化簡略化の末のデジタルなエラーというか解像度が低いデジカメで撮った写真の細部が見えないというか、本来あるがままに受け入れればいいところを足りない頭で簡単な答えにまとめようとしているができない、というだけのことなんだろう。現実問題、自分の頭の悪さは受け入れて、というか受け入れられなくともこの条件で生きていくほかない、くさっていてもなあ、とも思うけど。諦めきれないからこそ、もう全部いやんなったー、となるよな。生活の中に考える暇が無くなるようになるまでは、それを繰り返すくらいの気持ちではいるけど、なかなかきついんじゃないか。




2/19(水)

雪の予報外れ、晴れ。どうしても起きられず12時間くらい寝た。土日寝なかったのが今さらきた感もあるけど、そもそも3日間人並みに立ち働いたら一日完全に休まなきゃ持たない体になってるとかだったらどうしようと不安がかすめる。とまれ、寝るのは気持ちいい。サイコーだ

ラーメン屋の店主が常連さんとの話で、飲食店は飲酒運転厳しくなったことが打撃でかかったよなと、なるほど、現実的な意見だと思った。煙草増税と煙草屋の関係はもっと直接的だ。もちろん事故が減ればそれはいいことだろうし、嫌煙家の気持ちも尊重したい。
いつか知り合いが、煙草屋なんてのは元々仕事しない年寄りがやってることだから利益が減っても問題ない、と言ってて、ほんとバカか、と思ったけど。

色々とやることがあったので色々やった。




2/20(木)

床で毛布をかぶって業務連絡を待っているうちに寝ていた。晴れ。洗濯した。割と寒い。

315ワンマン特典、録音大詰め。この特典アルバム、かなり気に入ってる。好きなアーティストでもシングルのカップリングとかにリミックスを入れてると割とげんなりする方なんだけど、今度のをおれが自分でいいなと思ってるのは、自分のだからか?曲によっては本チャンのよりもいいと思ってたりする、やっぱりリミックスというものについて人のもオリジナルと平等にみられるようこれから努力してみようかな。いい機会だし。




2/21(金)

もう金曜か。晴れ。まだ雪ちらほら固まって残る。

田中伸裕さんと写真撮影。いい時間だった。

近所で撮影したので田中さんと別れひとりで駅まで歩くあいだの晩冬の午後早い時間、晴れてよかったなと本当に気持ちのいい帰り道で、沈鬱な考え事をしていた。楽しくないことを書く。
初めての人に会う、人と知り合うということが怖い。仕事であればわかりやすいけどそうでない場合、その相手を大事にしたいかどうか、できるかどうかという問題がいずれは関係の持続のほとんど唯一の問題になる。そういう考え方良くないよという声があるのは先刻承知ではあるがおれにとっては事実だ。ただ、いずれは問題になると思っているといいながらこんなことを、初めての人と知り合ったという話をするための前置きにするというのは、なかなか狂っているとおれも思う。こんなことを書くのは、今日の出会いがそういう意味では自分に反省をもたらしたので。フィルムで30枚だけの一瞬の撮影を終えたあとに小一時間話をしたその中で、知らないうちにだいぶおかしくなってたのだなおれは、と思った。
考えていることの近さで仲良くなるというのは、場合によってはあまりに近視眼的な外交であり、いずれ期待と依存が肥大化する、できれば肯定したくない、少なくとも慎重に見極めていたい、と思う。でもそうして潔癖であろうとするうちに、この人は遠慮ができるかどうか、例えばいずれ考え方の決定的なズレが発覚表出したときその状況に和やかに対処ができるか、最悪でも波風立てずそっと離れていくことのできる人かどうか、という目でおれは出会う相手を見るようになっていたのかもしれない。ひどいことには、そういう差が見えたときにおれの方が穏やかな対処ができなかったとしても相手の方ではそれをしてくれる、そう予想ができないと安心して関わることができない、ぐらいのことまで考えている気がする、おれが。それは決定的な依存をできない相手とははじめから関わらないというだけの、既にこの上なく肥大することを前提とした依存を肯定していることになるのじゃないか?ありていに言えばただ単に喧嘩するのが怖いだけなのじゃないか。
人は許して自分は許さないみたいなやり方で自然と、無意識のうちに執拗に意識的になり規範を設定し続けていたのだとおもうのだけど、その言葉にそくして言うならば許すということの意味が、それでも愛する、ということだったのがいつの間にか、文句は言わないが関わらない、ということにすり替わっている。
しかし今日の反省がまた励みになる、というのは、新しい出会いが怖くなるほどにも痛い目を見続けて頑なに内に篭っていくばかりでいかにおれがあったとして、それはいい出会いのひとつによっていとも簡単に気づかされ反省させられる、すくなくともその可能性はあるということに気付けた。おそらくこれは田中さんに感謝すべきこと。
なんか悪文

夜、別件音源作りの依頼、翌日までに一曲とのことだったので朝まで作業、四曲作る。送り、7時に寝る。



2/22(土)

晴れ。

昼過ぎ起きて、音楽と人取材。アルバム絡みのプロモーションも後半、いうほど大したことしてきてないけど、インタビュアがアルバムのデザイン周りやなんか手伝ってくれた金光さんだったこともあり、アルバム制作タームの打ち上げ感もあって心底楽しかった。

夜、送った曲の直し。わりとあっさりオッケーが出た。



先週あんなこと言ったけどブログのスタイル戻しました。これはたぶん、週のはじめごろのうちに日記を書く元気が出るかどうかってだけの問題だと思う。まあ言葉が出てきづらい時期もある。せいぜい頑張れ、おれ。


おれは目が悪い