endoftheyears


iPodが壊れた。
充電はいっぱいのはずなのに電池がありませんと出るようになったと思ったら、とつぜん中身が全部消えた。最近あんまり使ってなかったから機嫌というか、そういうのを損ねたのかもしれない。しかしともかく無いと無いでけっこう困る。数日かけて家中のハードディスクに散らばったデータをかき集めて入れ直したものの、iPodにしか入ってなかったデータもたくさんあり、出てるCDならまた入れればいいけど(でも案外またいつでも聞ける状態にしておきたいと思うものは少ないもんだ)、友達の非公式の音源とか自分のデモとか、いくつか消えてしまってかなり痛いものがある。それでも以前のおれからしたら考えられないくらい、音楽というもの全体に対しての執着が薄まってるのを、データが消えたことに対するリアクションの気持ちに実感した。ここらでいったん考えてみいよということかもしれない。誰が?iPod神が?

いい機会だからとむちゃくちゃになっていた(のが全部消えた)プレイリストをシンプルに作り直したり、自分の音源のアーティスト名をいじくってリリースしたもの、ライブなどの録音、なんとなく消せないレコーディング過程のラフなど、それから新曲や未発表曲のデモ、ここでは言えない○○の○○○、と整理したりした。

だいたい戻し終わった今日の昼にイツキライカを聞いていたら、(イツキライカ/スーパーノアの)井戸君がiPodの調子が悪い的なことをツイートしてるのを見た。リプライしようと思ったけどなんて言っていいかわからなかったのでやめた。小さな頃にみた世にも奇妙な物語に出てきた、奇遇ですねえ、と連呼するやつのことを思い出した。

しかしいったん全部すっきり消えたと思ったものが大方サルベージされて中途半端に元通りになってしまうと、それはそれですっきりしない気分のものだなあ、と思った。いっそ壊れてなくなってくれればよかったのにとまでは言わないとしても。どう転んでも気分がすっきりしない人生なのかもしれない。そういう人間なのかもしれない。だとしたらただの駄々っ子だし、たぶん事実おれはただの駄々っ子。

さて最近どうやら一区切りになる気運というのが穏やかに流行しているようで、おれと近い北信越うまれのミュージシャンが都会から地元に帰る、というケースにこの半年間で三件でくわした。これは相当なことだ。というのも、三件ともにおれは元々並々ならぬ共感と憧憬を抱いてたミュージシャンのことであったので。共感と憧憬がというよりも、過去のある時期の自分の生活と密接に結びついて、聞けば記憶の大事な部分を呼び起こすような音楽をやっていた人たち。書きながら思ったけど地元が近いことももしかしたらなにかしら関係あんのかもね、おれにとっては。
かくいうおれも音楽活動のしかたについてけっこう根本から考え直している。たしかにある意味での諦めと映る彼らの選択が、もし本当にそれが「あきらめがついた」と本人が表現する理由によるようなことであったとしても、それは決してネガティブなだけではなくむしろ別の希望に呼ばれて進んで行こうとしてのことだったんだろうと、自分の実感と結びつけて容易に、とはいえもちろん勝手に、想像できている。

しかしまあおれには既に帰ることのできる地元も無ければ(中学校に上がるタイミングで実家ごと東京に出てきた上に一家離散している)、音楽の他にやりたいことがあるわけでもない。音楽をすっぱりやめる、ということはしばらくまずないと言えるでしょう。ただやり方を考え直しているというだけのことで。音楽を作る、歌をうたうということをただ希望する気持ちが、音楽活動のほうに追いかけられているうちに取りこぼされ霧消してしまうということは、改めて考えるとやっぱり結構残念なことだ。仕方ないとも思うけど。正直に書いただけなのになんだろうこのバカ感。
だからもうやんなった、と全部畳んじゃうのじゃなく、ゆっくりあるべき形を思い出していく、という感じか。

ゆーきゃんもライブやってるみたいだし、福井に帰ろうとしている柳沢さんも、音楽をやめるつもりはないと言ってる。




東京にはひとやものが多過ぎて、ひとつひとつとじっくり向き合うという機会も気持ちももちづらいかもしれないけれど、地方出身者のはしくれとして、冷凍都市、凍るに狂うと書いてトーキョー、という街でまだしばらく、抗うでもなくどんくさくただ生活しよう、といまは思っています。総じて東京が嫌いなわけではない。
条件が揃えば田舎に住みたいとはもちろん思う。冬の寒さが穏やかなとこがいい。