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決意が再燃している感じがある、久々に、これから自分が成長していく希望を持って

飛行機を乗り過ごして(まじでタッチの差だった。カウンター目の前で受付締め切りの放送を聞いて、まさかと思いながら係りの人に聞いたらほんとにダメだった)成田から東京駅に向かう総武線のなかです。けっこうどうしょうもない気持ちだ。しかしどうしようもないので諦める。

井の頭のEPに入ってるソングフォーミーって曲の歌詞はそういやこの成田空港からの帰り道でできた部分があったのを思い出してる。いやあれは羽田だったのか、いずれにしても曲全体ができるよりだいぶ前のことだった。該当する方には申し訳ないが千葉のヤンキーには確かに共通してどこか抜けてる感じがある。サンプル少なすぎだけど

読み返すと5/1からブログを書いてなかったよう。その間けっこう色々ありました。新しい仕事を始めて、何年かぶりに新入りという立場になって、まあ楽しくはないけど清々しさのようなものがある。去年と一昨年は本当に無気力に過ごしたけども、たまに腹立つようなことがあると、つまらないことでイライラするのは無気力でい続けるよりずっといいなと実感してた。要するに先の希望が見えない状態が一番疲れんだろうと思う。忙しくはなるけど、とりとめのない考え事をする時間を減らして、つまり少し楽をして生きていこうと決心した次第。

重なる話ではあるけれど、先月くらいから急速に細かい価値観の転換が起こって、これまでずいぶん長いこと拘ってきたものを手放して、様子を見て、とブログにもなんとなく書いたけど、そんな中で、しかしやっぱりプライドが揺らぐようなできごとや状況にあうと、拠り所を自然に探すのか音楽がやりたいと即座に思う。こんなはずではないと思う。
音楽をやることを自分のプライドの拠り所にして高めていきたいという気持ちも、音楽は自分にとってはただでかい音出して気持ちい〜と思うだけのこととしておきたい気持ちも、どっちもありだ。そんときの気分なのであって、どっちが正解とか軽重とかはないと思っている。

16日はグッドマンでトリオライブ。この日は総じてかなり楽しい日だった。体調がどうもよくなかったのと個人的にすっきりしない問題を抱えて、でも久しぶりに会う人たちと話してるうちにともかく勢いよく朗らかにいようという気持ちが湧いた。
今思い出したけど年末にグッドマンでやった日もそんなような感じあった。頻繁に行くわけではないけど違和感を感じることなくいられる貴重な場所かも。ありがたい。自分がどんなふうにあっても肯定される場所であったならそれは気持ち悪い。よくないものをきちんとよくないと言うルールの場所はいい。客観的に見ればそれはただ趣向があう人たちのいるところ、となるんだろうけど、突き詰めると人間に客観視なんてことは不可能なので、快の方向に向かう他ない。それが楽な方向になるにしろ、困難な方向になるにしろ。言いつつ、グッドマンに出入りする人たちというコミュニティがあるとして、そこに仲のいい人が多いかと言われるとまあそうでもないけれど。
ともかくグッドマンがあってよかったです。

途中から今日のライブ終わってから書いてます。
ということで大阪梅田でけんじデュオ。前述の通り荒波を乗り越えて(家出てから梅田まで合わせて7〜8時間くらい、ほぼずっと電車乗ってたうち半分くらいは無駄足)、開場くらいのタイミングで着いたらみんながいて楽しくなる。おれらの前にやったスーパーノアが相変わらず良かったのも手伝って、ひじょうに楽しく歌う。ハードレインは照明もごちゃごちゃ無いし、いい時はすごくよくなる空気がある。アンドヤングは今日もアンドヤングで、サイコーだった。

音楽やってる人間で、音楽がよくないのはダメだ。だいぶ暴力的な言い方ではあるけど、自戒の方に重心のある言葉としてずっと持論としてある。当然さっきの話と同じでそんなもんは好みだと言うこともできるけど、ものさしを磨くのも音楽をやることに含まれている、よくないと感じたものを、ダメだと言い切るか、好みじゃないと表現するか、その違いに拘るのはナンセンスで、客観視点を持とうとする最低限の努力をしていないか、立場としてしょうがないかのいずれかにほぼ当てはまる。



これも一瞬、たとえばひと月とかそれぐらいで変わる気分なのかもしれないが、常に気分に正直にいることとただ怠惰であることの間の微妙な違いに気付いた。
頑張ろうと思えている、少なくともいまこの瞬間は。気分がいい。