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1/11〜1/17・忘れっぽさの話

1/11日
徹底的に休んだ日。深大寺で蕎麦を食べた。
レンタル屋で矢井田瞳さんのCDを借りてきた。MD(中学生のときテレビで見て好きになり、当時借りてきたやつをMDに入れたもの)でしか持ってなかったからiTunesに入れたくて借りてきたけど、MDでしか聞けないままでもよかったかもとあとで思った。内容がよくなかったのではなく、ローテク?礼讃でもなく、個人的に限られた環境でしか聞けないようにしておく音楽があるのは、けっこういいんじゃないか。何年か前にすげえ好きになった漫画があって、漫画喫茶でたまに読んでたそれを家に買い揃えたときにさみしさのようなものがあったのを思い出した。


1/12月
1/13火
いつも通り朝寝て、起きたら17時でした。よくあるわけではないけど、鋼鉄のハートしてるのでこういうのでへこんだり焦ったりはしなくなった。少し淋しくなるだけ〜(ワンダーフォーゲル)
と言いつつ何もしないではいられず(焦って)夜中からスタジオを予約して、ギター録音に行ってきた。先週の日記最後に書いたけど、やっぱりギターの音が劇的に変わった。超気分いい。
帰ってそのまま寝ないでダラダラ歌入れ(たぶんボツ)、録り音確認がてらなんとなくミックス。
晩御飯を食べ終わった辺りから3時間くらい記憶が飛んでる。シャワー浴びて、今。日曜から三日分のブログを書いた。



1/15木
秋葉原グッドマンでソロ、歌いはじめ。去年も歌いはじめはグッドマンだった。年に何回も出るわけでもないけどとても居心地のいい場所。天気悪かったのに来てくれたみなさん、本当にありがとうございました。
弾き語りライブ録音のCDRを発売しました。ライブ音源ではあっても純粋に弾き語りの音源を出すのはだいぶ久しぶりで、以前にあったものも今はどこにも売ってないから現状唯一と言って差し支えないものです。ライブ会場以外でも手に入れられるよう、考え中。
ライブ前後、階下のリハーサルスタジオでおれの古い音源をずっとかけてくれてるのが聞こえていて嬉しかった。友達の友達で、音楽をやっているという人が見に来てくれたのも嬉しかった。



1/16金
晴れて気持ちよかった。歌入れをしてラフミックス。半分仮のつもりで録ったんだけど後で聞いたら、やっぱり半分くらいは録り直しだと思った。ミックスは今回できるだけ即断即決で、悩まず進めたい(その方がいいものになるんじゃないか?と思ったので)が、どうか。
言いつつ、1日のほとんどの時間はダラダラした。仕事が来てないのでしばらく割と暇だ。



1/17土
おれのおかんは神戸の出身で、地震の後すぐに実家に駆けつけていたような気がするんだけど、当時7歳だったはずのおれの記憶は全体にまったく曖昧で、ほとんど何も覚えてないと言っていいほど。テレビで、じいちゃんちのすぐ近所の高速道路の高架が横倒しになっているのを見たことは覚えてるけど、それも何日経ってから見たものか、あるいは何年も経ってから教科書やなんかで見たものか、覚束ない。2011年の東北の地震の場合を照らし合わせてみるとやっぱりすぐに駆けつける、ということは難しかったんじゃないかとは思うけど、両親が報道にうろたえている様子を見たかどうかもまったく思い出せない(だからうろたえていた、というのももちろん推測。もしかしたら叫喚していたかもしれないし、爆笑していたかもしれない)。
その2,3年前に母親(つまりおれのばあちゃん)を失くしたばかりだったし、おれが7歳の一月ということは兄貴は10歳で、小学生の息子二人の母親でつまりおかんはあったということで、さすがに多少どこかおかしくなってもしょうがない状況に立たされてたのだなあと、今日、阪神淡路大震災がちょうど20年前だったということを聞いて、思った。

東北の地震とそれに結びつくさまざまのこと(例えば沖縄辺野古の基地移転問題も、原発のあれやこれやと結びつけて話す鼻息の荒い人を見ては、しかし意見の内容としてはその大方に反対というわけではない、おれも)すらも、四年弱の時間が経って、毎時毎秒思い出し想い胸を痛めているとは言えない、たくさん笑って、詞に書くことがねえとか個人的なことで悩む、自己中心に暮らすやり方を守っているのが、人間の忘れていく機能のなせるわざだったとしても、それに抗わず波や流れに乗るように生きていく自分の鈍さを、愛おしく思う、というと少しだけ違う気もするけれど腹が立つとか憎むという表現をするよりはずっと近いように、思う。

(本当なら形としては去年の総括のタイミングででも書くのが美しかったのかもしれないけど)去年亡くなった仙台にいた親友のことも。できない先読みをして悩むばかりでなにかにつけ消極的になりがちなおれを見て、ということだったかと今では思うけど、人間、本当に底に届いて、必要に迫られて、嫌になったときには自然と変わるよ、と言ってくれたのだった。もしおれが死んだ友達のことや地震のことを含むあらゆる過去のできごとについて、忘れることがおれにとって必要なことになるなら、その時には抗わずにいようと思ってる。
でもおれが今この瞬間に熱中し、最高だ、と思う時にはいつも過去のできごと全ては、意識から遠ざかりながら明らかにこの身の上にいま存在している、と感じるように思う。正確にはそう感じていた、とあとから思い出されるように思う。絶えず祈れ、とはフラニーが抱きかかえていた宗教本の内容だったと思うけど、おれには今のところそれはできないし、したいとも思っていない。ただ、ひたすら逃げ回り楽をしながら、絶えない祈りの成果だけをさらいにいくようなイメージのウルトラC的なやつは、狙っている。もちろんおれの祈りと言うのは神に対してではなくて、じゃあ何に向ってのものかと考えてみたら、今この瞬間と、やはり過去に対して、なのじゃないかと思う。

臨床心理士でもあるおかんが、神戸の子供たちの精神を癒す(ダメージをできるだけ遠くに追いやる、というイメージなのだろうか。想像でしかないけど)活動を続けていたことを思うと、おれには欠落しているように思える未来という概念と、利他的な行動指針のふたつを持っていたということか。それによって自分を癒そうとしていたという見方はもちろんできるしその通りだったんだろうとも思うけど、いずれにせよおれにはできねえ。資格も金も無いし、それを身につける意思すらもない。もしかしたら音楽に、それに近いようなことができる部分があるかもしれんけど。おれが東北の地震の一週間後に作った歌と言ったら、「なんにもなりゃしない」と連呼するやつだったからなあ

東北の地震の一ヶ月後に仙台に行くことにして、勇んで何か必要なものはないか?とその友達に聞いたら、ハーブティーが欲しい、と言われたんだった。現地で会って(夜行バスで着いてすぐ荷物を持ったまま4時間川沿いを散歩させられた、あれは忘れん、死ぬかと思った)した話の中で、何か欲しいものはないかと聞いたとき、どんな気持ちだった?と笑顔で聞かれた。どんなときも教育的な人だったな、今思うと。本当に、おれの先生だった。

亡くなった友達の話を東京の友達にしたとき、それが歌になるだろ、と真剣に言われて、おれは、歌にする必要を感じない、と思って、そう答えたな。おれにとって歌ってなんだろうと考えるような年だったと言えなくもない、去年。だったら今年はその答えを出す、その必要はあるかね?どう思うかね?訊いてみたい。



「141025弾き語り」から、そのなんにもなりゃしないと連呼する歌を聞けるようにしました。作った時はそれはおれなりに切実だった。おれの曲にしては珍しく一聴して印象に残るようで、いろんな方にいろんな風にコメントをもらったけど、この曲を褒めてもらうといつも、もちろん嬉しくはありつつも、戸惑う。去年、その札幌での二日目のライブでこの曲を歌いながら自分で泣きそうになったのは、あまりの情けなさに、辛くて、だった。訃報を受けたばかりで動揺していたということも当然あり、もうひとつ、この曲を作ったときから、この曲は、自分のためだけに作った歌だし、きっとすぐに歌いたくなくなるだろうけど、嫌になっても繰り返し歌おう、と決めていたことを思い出して。
https://soundcloud.com/hirakuy