4/26〜5/2・ツツジって納豆に香水かけたみたいな匂いする


先週も予告書き忘れてたけど、予告するほどのこと何もなかったので結果オーライということで、五月が来ました。一番好きな季節です。ツツジも好きです。





おかんが突然メダカを獲りに川へ行くというので犬と一緒に駆り出されていきました。おかんが一匹立派なのをたも網で捕えたのに対しおれも頑張ったけどメダカなのかどうかも判断つかない稚魚を一匹、こちらはちいさな網で掬ったのみ。連休の家族連れでごったがえし水の濁りの落ち着く暇もない状況ではまあ成果だったと思う。モロコかなんかとエビは放して、二尾をバケツに入れてつれて帰ったのだけど、小さい方は家に着くと死んでしまっていました。
休みの度に子供たちに追い回されるとはいえ川での生活と、外敵がなくまあまあ大事にされるとはいえうちの実家の鉢での暮らしとどちらがこいつらにとっていいのかしらと網を片手に考えていたことはもはや関係なく、どこにもつかないうちに殺してしまった、メダカなのかどうか、成魚になったらともかくわかると考えていたのも無神経だった、帰りにコンビニに寄らなかったらどうだったろうか、悪いことをした、と少し落ち込みながら、久々の強い日差しに当たった疲れで昼寝をしたら夢を見ました。
どこかの知らない無愛想な夫婦の家に招待されて自慢の料理をごちそうになるのに、手伝わなくては悪いと思い申し出た配膳の途中で大きな妙な器に入ったピラフのようなものをひっくり返してしまい、慌てて謝っている、それに対して夫婦、特に料理人のおじさんの方が何の反応も示さない、怒りとも無関心とも全く判断のつかない無反応、おれはついに大声を上げて泣き出す、という夢。
現実の代わりに夢の中でわんわん泣きながら懺悔をして清算しようとしているのなら、なんとわかりやすい子だろう自分は、と思いました。
食われるわけでもなくおれに殺された小さなお魚は、昼寝しておれが見た夢で死んだことを清算されそうになった。おれの無意識はおれに夢を見せて負荷を減らそうとして、抗わずおれも大して気にしないでいるのだろうけど、その流れの安直さのためにかえって少し疑問が残った。ブログに書いたことで整理され脚色歪曲されている部分もあるだろうし、書かなければ来週には忘れているような疑問だったかもしれない。書いたけど実際明日にはあんまりよく覚えてないやとなるかもしれない。

大きく見ればおれにとって作ってから何年も経っている歌というのがこれに近いものがある、といま書いてて思いました。時々思い出して、残しておきたいという気持ちが強くなることもあれば、無かったことにしたいとまでは行かないまでも方向としてはネガティブなものとして思い出されることもある。両端の間を行き来しながら、でもともかくいったん形になったなら、まあ誰かに聞いてみてほしいと思うのがさもしい表現者根性です(他のミュージシャンの方にはもちろんもっとはっきりした信念がある方もおられると思います。一般論ではなくあくまでおれの場合)。
何が言いたいかって、この段落辺りからは当然ときメモ2の販促効果を狙っています。少し前からsoundcloudに公開している一曲のタイトルも奇しくもさつきというもの。なんかうまくできてるなあ。聞いてみてね。通販も今月いっぱいはやってます。
https://soundcloud.com/hirakuy
全曲解説もいま書いてる途中、で投げ出してあります。もうすぐ。




来週は6日に京都へときメモ2を持っていきます。天気がいいと嬉しいぜ。