thanks giving tour記⑧10/10台北

前夜ニヤニヤしていたが短い睡眠のあと出なければいけない時間があるなら当然寝起き言葉少ななふたり、イベントの主宰者であるブッタさんが早起きならおれも当然ついていかなくてはならない。でもこの道中ずっと早起きのおかげで体調よかったような気もするしそんなに苦でもない、確か7:30くらいに出発。


ブッタさん。たくましくかっこよかったな




初日に台湾での食事について話してたときから、生野菜を食べたくなった時の数少ない選択肢として名前の出ていたサブウェイに、8時の開店と同時に入りなにやらこまごまと注文(おれは日本でもサブウェイ行ったことなかった)、内容も言葉もさっぱりわからなかったのでブッタさんにお願いする。今更だけど母国語以外の言葉話せるってすごいよね。
でかいサンドイッチの入った紙袋を持って月見ルへ、早速食べて(ホットコーヒーは大豆飲料の味がした)、他の会場へ持ち出す機材のバラし、といってもおれが手伝ったのはケーブル巻くだけ。30分したらどこからか人が来て本格的に運び出し。そこからさらに30分経つ間に人がどんどん増えてイベント感が出てくる。この頃にはおれはもうお役御免でソファーでだらだら、少し寝たりしていた。
月見ルでしかネット環境なかったのでツイッターを見ていた。いつも通りおれのタイムラインには自分の信じる正義の達成のための努力をする人たちがたくさんいる。普段より遠くのできごとのように感じるということはそんなになかった。これが台湾じゃなく南極とかまで離れればどうなんだろう。

おれはずっとひとりで音楽活動をするということに意識過剰に、言ってしまえば意固地になってやってきたけれど、ボランティアスタッフ(だと思う)も含めてたくさんの立ち働く人たちを見て、分担して協力するということについて考えた。高校の文化祭の時点で既におれはみんなのやることに非協力的だった。簡単に性格の問題というより少しだけ深刻に、切実に他人と関わることが苦手だったと思う。今もそうだと思う。高校生の頃というよりずっとそれ以前、小学生の頃からやはりそうだったのか、とこないだおかんの思い出話を聞いて腑に落ちることがあった、本気の山の中に連れてくと普段つり上がっている目尻が下に落ちる子供だったらしい。今でも多分そう。おかんの話を聞いてもうずっと長いこと自分でも感得してなかった部位のうしろめたさが微かに許された気がして涙が出るんじゃないかとちらっと思うくらいだった。不器用と言ってしまえばそれまで、でも単なる不器用さでも如何ともし難い凝りは、時間が経っても如何ともし難いままなのだ。大人になってある程度は受け身の対策を学んでも根本的解決からはむしろ遠ざかり続けているような気もする。


爪が伸びていたのでコンビニに爪切りを買いに行った。ここまでコンビニ製品については普段日本で買えるものと同じ製品かもしくは同じクオリティの(値段も同じ)ものばかりだったけど、爪切りについては懐かしい切れ味の悪さだった。

イベントのチラシというか、各会場の書かれた地図を見て自分が歌うsugar man cafeに行ってみた。おれらの次に月見ルに到着したいかにも現場な感じのおじさんが機材の運び入れをしていた。店の中に招き入れられて一発でこの場所が気に入った。床や壁が木で、天井が高めで、狭すぎない、というおれの好きなライブスペースの条件に完璧にあてはまった。ライブハウスだとまた話は違ってくるけど、カフェやバー的な場所で歌うことのまあまあ多い身としては既に割とはっきりとした好みがある。ここは完璧だった。楽器持ってきていいかと聞いたらどうぞとのことだったので月見ルから楽器を持ってきた。ステージになる場所の背後の一角を楽屋スペースとして使ってくれとのことだった、そこに懐かしいものがあった。


好きだったなー封神演義。これはもちろん中国語だったので読めませんでした。ここにも日本語のけっこう話せるスタッフが配備されていてものすごく助かった。


Tシャツの紙は彼女が書いてくれたもの。嬉しかったので、この紙あした京都でも使うわ、とこのとき本気で言ったけど値段が元になってることに気付いたのは翌日京都で物販を広げてから。当たり前なんだけど。この日本人ちょっとバカだな、と思われたに違いない。しょうがない。

店の前で煙草吸ってるうちにイベントスタートの時間。ライブ少し見たりふらふら歩き回ったりして、出番。演奏はいまいちだったと思うけどたくさんのお客さんで暖かかった。CDは高い順に人気があった。この日も日本語が少し話せる人が多く、サインを書かせてもらう会話は全部日本語でゆるしてもらった。

お店の方で同じ年くらいの男の人が、この人は日本語はまったくだったけどお互い頑張ってたくさん話した。CDのポストカードに書いてあったけど明日ジントゥーなのか?と聞かれたのは難航したけど、先述の日本語話せる子の通訳も借りつつジントゥーが京都のことだとわかった。
自分で巻いた煙草をくれたのと、カフェラテをサービスしてくれた。嬉しかった。


ふらふら歩いてまたアレ(麻醤麺)を食べに行った。安いし軽めなので助かる。

sugar man cafeでおれのあとにやった脆弱少女組という男女ふたりのユニットがめちゃくちゃ笑いを取っていた。

この日から平賀さんが来ていた。前日から二日間やったおれら日本組三組と一日ずれて平賀さんはこの日と翌日。久々に見てやっぱすげーいい声だなーと思った。おれは帰ったけど翌日はどうだったんだろう。

イベント終わり、ほんとにお世話になったおおうえさんたちに挨拶、大変な片付けのあるブッタさんら主催組を残してハップルチームとおれとで夜市へ。これがなかなかすごかった。この時もそうすけさんが最高の案内役だったけど、もうひとりシュットさんという人(あだな。台湾在住の日本人)。3、4年前に泰山に遊ぶ(ブッタさんのバンド)のライブにくっついて台湾に来て、あれやこれやとあり結局台湾に住んでいる料理人の方。ものすごく気を回してくれて、おかげでほんとに快適に楽しめた。
ツアーというか旅行は、その土地のことを何も知らないまま異邦人としてふらふらするのもいいけど、その場所に詳しい人と一緒だと全然違う楽しみ方をさせてもらえる。ただ感謝。

どきさんさりげに目線

雨も強まり、日付変わる頃解散、ゲストハウスに行って寝た。おれが寝る頃までずっと廊下で西洋人の女性3、4人がずっとおしゃべりしているのが聞こえていた。
ツアー中ずっとそうだがいろんな人に感謝の念を、抱くほどにあとで寂しくなる。感謝を面と向ってじゅうぶんに言葉で伝えきることができたことはほとんど無い気がする。

翌日の移動が不安だった。飛行機が時間通りでも京都の会場に着くのはイベント始まるギリギリの予定だった。



つづく