thanks giving tour記⑭11/6高円寺


ツアーを組み終えた頃に誘われたウーハでのスリーマン。時期的に厳しいし断ろうとも考えたけど受けたのは、このツアーは今までお世話になった人にお礼を言うためのものということがあったからで、でも今回の場合はお礼よりも謝罪でした。そういう意味ではツアー全体を通してもかなり大事な日だったのだと思う。


2011年の11月か12月に、mixiで知り合った(と思う)年下の男の子からイベントに誘われて、予定も詰まっていたので告知なしなら出られますと返答した。願い下げられる構えでいたけどそれでもお願いしますということだったのでライブ当日に会場のとても小さなバーに行ったら、別のイベントをやっていた。おれが日付を勘違いしていたのだ。
本当はイベントは翌日だった。ずっと勘違いしていたので翌日には外せない用事が入っていた、告知していなかったのをいいことにおれは彼に謝りつつ明日は出られない旨メールした。
誘われていたイベントの出演者の無闇な多さや、前後のおれの忙しさなんかを鑑みても、当然今考えるとあり得ない所業、無理を押してでも当日こじ開けて出演させてもらうのが当然なのだけども、やっぱり2011年〜2012年のおれは相当おかしな精神状態だったのだと思う(この他にもなかなかいろんなことをやらかした)。言い訳でしかないが今の自分にはどうあってもやらないことなので、そうとでも考えないと全く納得いかない。
もちろんもっと納得いかなかったのは主催の男の子だろう、メールに返信は来ないまま今日まで没交渉だった。

ときどきバイトしてたライブハウスで何度か見たことのあった妙なヒッピー風のシンガーがその彼だったと知ったのは今年になってから。名前を変えてたし、当時もきちんと会って話したことがあったわけではなかったからさっぱりわからなかったが、当人のいない打ち上げの席でおれの知らないミュージシャン同士の会話に以前のあの男の子のアーティストネームがちらっと出たのが聞こえて来たとき電撃的に記憶が繋がった。
今グルパリという名前で活動している彼は、ライブハウスでバイト中のおれがセッティングを手伝いに行くとちょっとおかしいくらい恐縮した様子で(何人かの人から彼がおれのことをすごく好いてくれているという話は聞いていた)、物販席には妙なチラシを張り、完全に浮浪者の風体でおれに距離を取らせるキャラクターだったけど、何か多くの人が持つわけではないくらいの強い芯のあることが歌にはっきりと出ていた。記憶が繋がってから考えてみるとヒントはたくさんあったわけで、忘れていた大事なことを思い出したときの快感と後悔にワーとなりながら、共演の機会があったらきちんと話して謝ろう、と思っていた、ところに、今回のお誘いだった。

しかし当日、自分の出番前に熱っぽさと頭痛発汗が来て、これはいつもの気圧によるもんじゃなくて、風邪をひいたのだと気付いた。とにかくなんとか歌いきろうと頑張っていたらチューニングもうまくできない(合ってないということははっきりわかるのに、合わせられなかった 壊れたギターを弾いてるみたいな感じだった)し、それなら早く終わればいいものを持ち時間を15分オーバーしていた。わけわからん。でも歌うのだけはよくできた。ツアーでライブが続いているとよっぽどのことがない限り、少なくとも軽い風邪くらいでは歌はくずれないんだなとわかってよかった。

終演後、グルパリくんに謝った。謝ったが、なんだか相変わらず恐縮してまともに謝らせてくれなかった。罵倒してくれればよかったがこうなると後味が悪い。明らかにひとりのシンガーとしてしっかり立っている今では彼がおれに対して、貸しを強く押し出しこそすれ恐縮する意味なんて無いのに、今後ともよろしくお願いしますと言ったおれに、今日やらせてもらえたのもあり得ない、今後なんて無いっすよみたいなこと言うから逆に腹立った。
この日おれに対して恐縮してしまった記憶は彼の中にも後悔として残るんじゃないかと思う、それを咀嚼して煮詰めて恨みに変わる頃、また一緒にやりたいです。今では連絡先もわからないので、もしこれを読んでる人で彼と交渉のある人がいたら伝えてください。恐らくおれよりずっと重い覚悟を持って生きて自分を鍛えて来ただろうグルパリ君に、おっさんはもう一度全力で戦って気持ちよく負ける覚悟ができてます。


このツアー、10年間のまとめというよりは地震以降の流れに自分としてきちんと向き合い整頓する、ということをしている気がする。他人とはわかり合えない、ということを意識し過ぎて知恵熱出してたのを、間違っていたと後戻りするのではなく折り合いをつけてしっかり生きてく、というとこに向ってる。


それから、やまみさんのギターがすごくよかった。


つづく。