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散完


昨夜の打ち上げを以て第八期ぐらいのよしむらバンドが完結(右手前にいるのはPAなっちゃんです)。

ここからまっさらに新しい生活をどんどん柔らかく、朗らかにゆこうと思います。






先日久しぶりに話したゆーきゃんが「引き受けようとした役割」のものに人はなっていくから、おれは天才やと思ってたら天才になるんやと思う、というようなことを言っていて、それは自分が天才だと思える環境が既にある人にしか無理なんじゃん?という現実的な反論を、でも言いながらまるで自分では“天才”の役割を引き受けるような気がなさそうなゆーきゃんを見て、なんとなく引っ込めたということがありました。
唐突ですが10年前の春前に自分で作った歌がいまの気持ちに近いかもと思ったので少し引用します。

繰り返す幸せの前に立ちつくして
笑い出すくらいに無力になりたい

解け出した魔法も
話の続きも
忘れる前に
忘れる前に

どういう意味なんだろう、とちょっと考えてみたんですが、これはたぶん話しかけようとしている相手に対して、「(自力でなんとかしたかったけど)おれはもうダメだからここからはお願いします」と言いたい場面なんだと思う。そしてもちろん言葉通りの意味で「新しいことを常に求める鼻息荒い欲求はあるけど、なんも前進しなかったとしても同じ繰り返しを愛して喜ぶことができる気がする」という、当時高校生だったおれにしてはずいぶん大人びたご意見ですね、と言ってやりたくなりもしますが。「おれ大人になったスゲー」とか思ってたんだろうと過去の自分にすら意地悪な目を向ける性根で。
でもおれがこの歌詞を今のおれの気分に近いなと感じたのは歌を作った当時の意味とは少し違うポイントで、その説明はうまくできない気がするけど、ただ話しかけようとしている相手が元々はひとりの君であったのが、特定の誰に向けてでもなく、想像しうる限りの大きな人数に対して、という風に変わっているのは確かだなと思います。それから「繰り返す幸せ」というのが、同じように繰り返す のではなくピークを更新し続けないと感じられない幸せ を指しているようにも。

だとすると今おれは久しぶりにひとりぽっちになって、でも魔法が解けるのにも間に合う奇跡を起こすのを本気で信じている、自分が“天才”(天才という言い方はおれとゆーきゃんと、同席していた平賀さち枝さんとの間でなくてもあまりに極端で現実味にも真剣味にも欠けるので、何か別の言葉を考えたいなと思いながら、でももしかするとおれにまだ気付けていない含意がゆーきゃんの言葉選びにあったという可能性を考えてそのまま使います)の役割を引き受ける気がある、環境が先か、ただ少しだけ酔っていた先輩の言葉に無邪気に励まされてなのか、それはわからないけれどもいま実際に、幸せな瞬間のピークを更新し続けることを信じられている、ということなのかもな?と思いました。





ワンマンをやったのと同じメンバーでも続ければまたすぐ新しいピークは軽々と作れると思うけれども(多分またやります、散る散る詐欺です)、今は、今まで関わったこともないような人たちと新しいことをやりたい、不安は当然あるがうまくいかない気がしない、最悪おれが全部なんとかする、くらいの構えです。

この世は地獄で、人と人はわかり合えないし、もう少ししたらおれも五割くらいの確率で気持ち悪いおっさんになるんだけど、でも当たり前のように奇跡があることを信じる気分があります。ただ春になりつつあるからかもしれないです。まあだとしたら春すげえし、春タダだし、過ぎても待ってりゃまた来るし。
昨日の打ち上げの寒くない小雨の帰り道、ちょうど昼間に作った曲があまりにしっくり来て、いいねと思いました。

書けば書くほど文章がひどくなっていくので今日はここで。もう少ししたら新しいおしらせをします。

あと打ち上げでのかねの面白さは本当にすごかった。天才だと思う。