10/1〜10/2

これまでホームページとしての役割も兼ねてきたこのブログが、studiorotha.comの完成に伴いめでたく純粋なブログになりさがった。
10年前(適当)からブログはずっと好きだから、気持ちの上でいえばここがホームという意味では変わりない。いろんなブログサービスを渡り歩いては来たが。

ちょうどよく、10月1日から2日にかけて、書き留めておきたい印象的な流れのある二日間になったので、久々に日記的なポストをします。別に、書こうと思えばどんな日でも文章に書いて残しておく価値がないということではないから、やっぱり動機はこのブログの、ただのブログとしての門出に祝詞をあげたいということなのかもしれんけど。

1日は、古い先輩の代々木原シゲル(代々木原シゲルという芸名を決める段でそれにまつわる雑談をした記憶があるので、それくらいは古い付き合い)が何年か前に立ち上げたフォークシンガー系の野外フェスがGO AROUND JAPANと名前を変えた初年度初日に出演。越生(おごせ)という名前を聞いたことがあるような、ないような土地へ朝から向かう。実際に越生のロケーションは期待していたより更にグッとくるものだった、しかしいかんせん早朝に出発ということで、前夜寝支度をしようか迷っているうちに出発まで二時間というような時刻になった。
1人で長時間の鈍行での移動は久しぶりだし、連日PC画面に向かい続けている疲れも感じていたので、睡眠導入になればと思い、部屋に積んである既読の本から一冊をパッと手に取って出てきた。タイトルを見ても連想される内容の記憶がない、実際に一章を読み終えるまで短編集だと記憶違いをしていた、大江健三郎「人生の親戚」。往路最後の乗り換え駅、ローカル線にはよくある乗り換えの待ち時間が30分あった高麗川でおれは号泣させられることになったその本の、お話の本筋からすると序盤の布石でしかないとも言いうる場面の会話から引用。

-日頃なら、まり恵さんらしくて納得する乱暴な言葉も、今日は気持ちを逆なでするようだったわ。それでみんな黙ってしまうと、ますますまり恵さんは、挑戦するような感じになって行ったのね。つづいてこんなことまでいったのよ。美しくて優しくて、ユーモアもあった早苗ちゃんの死を悲しんで記念する。その着想を見ていると、自分が学生の時から専門に読んできたアメリカの女流作家のいったことが、本当に正しいという気がする。障害児の現実を、その全体、まっすぐに引き受けて見つめるのじゃなく、センチメンタルな涙にふやけた眼で見るのは、可哀そうな、きれいなバカ、という見方と同じで、ついには強制労働キャンプやガス室の煙というところに行きついてしまう……
まり恵さんがそういったので、みんな、エーッ!? と声をあげて、もう感情的にまり恵さんを排除してしまうふうになったんだわ。
-……そのアメリカの女流作家のことならば、見当がつくよ。彼女は若い時に不治の病いにかかったが仕事をつづけた。カトリックの信仰を持っている上に、強い性格の人だからね。彼女の思想を、まり恵さんが、この国の風土でそのまま押し出したとしたなら、養護学校の母親の会でなくても、反感をかうね。その女流作家は、優しさというものが、……彼女の書いた言葉でなら tenderness というものがさ、根源から切り離されると、ひどいことになる、といっているんだ。こんな障害を持った子供らは可哀そうだとね、優しい心が感じる。しかしその優しい心の持ち主のうちにはさ、そこから一歩進めて、可哀そうな子供が好奇の眼にふれないようにと、隔離しようとする者が現にいた。それはひとつの制度にさえなった。
これからの課題としては、誕生前に異常がわかれば、強制的に中絶させる勢いが出て来るかもしれない。確かにそれも優しい心のやりそうなことだぜ。こういう優しさは、根源から切り離されていると、彼女はいっているのだったと思うよ。そして彼女の考える、真の優しさの根源には、神がいる。キリストという人間の顔かたちをとって、つまり person としてさ、人類の罪をあがなった神がいると、女流作家はいうわけだ。そこは不信仰の僕として、よく理解したと確信を持ってはいえないところでね、しかしかえって気にかかって覚えているけれども。


行きの電車で半分まで読んで、帰りの電車は爆睡、2日は忙しくて、3日の晩に残りを読んだのだけど、文庫本の解説が河合隼雄さん(おれの恩師のその恩師)で、できすぎだろと笑ってしまった。大江健三郎河合隼雄は20代はじめに出会って心底好きになったおれの二大ヒーローなんである。25になるかならないかの頃、久しぶりに会った高校の同級生との雑談の中で、学生時代に好きにならなければもうそのまま読まない(大人になると読めない)作家だよね、大江健三郎、と言われて意地で笑いながら恥ずかしかったが、今でも一番好きな作家だし、というよりここ数年はたまに読書といえばほぼ大江健三郎の再読(今回みたいな)しかしてない。
たまに人と本の話になって、大江健三郎はどの作品がおすすめかと聞かれると、(一作だけ読んで語れる要素の少ない作家なので)困りつつ、派手めで勢いがある「洪水は我が魂に及び」を、あくまで1冊目として読むのに勧めてきたけど、今後はこちらを勧めていきたいと思うほどの作品だった「人生の親戚」。短いし。(本当は「同時代ゲーム」が読みきれるかどうかが大江健三郎を好きになるかならないか判断するのに一番わかりやすいから、日頃から活字に親しんでる人にはそちらを勧めたい)

さて越生からシャトルバスですぐのGAJ会場のロケーションは前述の通り超グッドで、出番まで時間あったので山に囲まれた入浴施設の周囲のスペースに設営された会場をフラフラしていたら嬉しい連絡があった。リスナーの方で文章を書くことをしている方が、おれのある曲をモチーフに短編を書いたというのでそれを送ってくださったのだった。事情で紹介できないのが残念ではあるけれど、おれの名前や曲のことは本編中には一切登場しないことにむしろ説得力を感じながらpdfになっていた71枚をその場ですぐ読んだ。感想はまだ、もう一度1人でいるときに読んでからお送りしようと思っているけれども、とにかく、こんなに嬉しいことってあるだろうか?作品としての文章の、着想におれの音楽が入り込ませてもらったものを送ってもらったのは人生まだ二度め。
ミュージシャン仲間で新しい作品が完成したら聞かせてくれる人はもちろんいるが、文章も嬉しいからどんどこ読ませてもらいたい。

自分の出番前後に代々木原シゲルや中村啓士さんとのこちらも嬉しい再会をして、Andareのお二人とも会い、また長い帰路へ。電車では本を開いたまま爆睡。

また話が前後するのだけど、そしてまたツイッターで補足をしようかなと思いもしたのだけど、文字数の制約のある中でしたい話ではないかなと思い直してやめていた。この日の往路でのおれのツイート。

越生に向かっております。経由する八王子は高校生の頃の生活圏にかすっていた懐かしさもさることながら、駅発着前後の景色がいいのでけっこう好きです。いい思い出無いけど。

いい思い出の無い場所でも10年経てば懐かしいとか景色がいいから好きとか言うようになる、というのは例えばいま辛くてしょうがないとか言ってるティーンがいたら、その人にとっては希望になりうる事実なんじゃないか。学校に行きたくない若者、見てるか〜

読み返すまでもなく言葉が足りていない、と感じたが、たとえばツイッターに文字数の制限がなかったとしたらそのあとに続けて書きたかった内容が以下。今考えると誰に対して自分の軽口を弁解したいと思ったのか、しかし昔から口を開くなら説明はきちんとしたい性分なのです。

10代にして10年後という視点を想像して現在の気持ちのありようを変える材料にできるなんていう余裕や能力(ほとんど特殊能力といえるのじゃないか、10代でそれがあるとしたら)があるならそもそも学校にいきたくないとか、日々の生活が辛いとか、そういったことはとくに問題でないというのは明らか。
「希望になりうる事実なんじゃないか」というあくまでも部分集合でしかなく、等号を断定してはいませんけどとでも言いたげな書き方をしているのが、その時点でのおれの、慎重さ(を少なくとも担保したいという浅はかな気持ちの表れ)で、たとえばじゃあ、いま嫌いな(行くのが辛い、かつ行かざるをえない)場所やコミュニティがあったとして、そのことも10年経てば思い出として切り離せるようなものになるよと、現実にいま問題を抱えている若い人が目の前にいたとして、そのまま励ましの言葉として有効なものであるとは、残念ながら思えていない。
おれだってそれなりに問題を抱えて10代を過ごしたと自負しているけれど、勉強も運動もそれなりにできたし、恋人も友達もいたし、振り返れば円満と言えないまでも21までは両親兄弟もなんとか離散せず同じ家に暮らしていたし、結局おれに想像できる、窮境にある現在の現実の10代の1人の人間像なんてのは精度が低いのかもしれない。
完璧な理解や共感がなくても当人にとっては励ましになりうるものの存在はもちろん経験に立って強く認識できているけれども、たとえばうちの犬が持つような愛嬌も、ラジオで若者に語りかけるアイドルの言葉にある確信に満ちた力強さも、おれには縁遠い素養なのであることも自覚している。
幸いインターネットで自分に似た人を探す難易度は下がり続けている時代だから、実際におれがしたツイートは全く必要とされていないところに盲打ちで手を差し伸べる、「困っている人に励ましを与えたい、他の人ではなくおれが与えたい」というヒロイックな欲求が浮き彫りになるだけの発言だったということもできる。そう考えるとむしろいま窮境にあるのはおれなんじゃね?


帰宅して即寝た翌10月2日、早朝に目が覚め、二度寝、三度寝、午前から幽谷混声の練習に出かける。なんやかやと毎月二回集まって声を出すルーティンももうすぐ半年続くということになる。夏から練習し始めた合唱曲「春に」が予想以上に難しく、その分練習ごとの成果が見えるので楽しく長く歌っている。そろそろ形になってきたので、また次曲に取りかかろうというところ。
合唱団の構成員は、この表現の仕方がじゅうぶんに一括りにしていると取られないことを祈りつつ、誰のプライバシーも侵害しないよう詳細は省いていうのだけれども、一人ひとりそれぞれが個性的で本当に楽しい。おれがミュージシャンでメンバーは一般人、という捉え方だけはすまいと構えていた春頃の構想段階での懸念はまったくの杞憂。むしろおおげさでなくおれだけが生業とできるほどの技能を音楽の他に何も持たず、一番特徴のない(歌を歌う場に、歌を歌うことしかできない人間のいることの味のなさ!)存在。
というと特徴のない人間は面白くないと言いたいのだと誤解されそうだけれど、そうではなく、音楽だけやってきたおれにとっては、なんであれ自分の生活を成り立たせるために(音楽でない方法で)働く人たちが生まれて育ち、仕事や趣味を選択し、自分自身では波乱万丈などとつゆとも思わなかったとしても、自分自身の感覚としてはなにげなくとしても、過ごしていく過程で立ち現れる個性というのがこんなにも魅力的なものになるのだなと、毎回の集合の中で痛感させられる次第。合唱団の発起人として誇らしいというより恐縮なほど。純粋にニュートラルな依り代になりたいという、合唱団の構想段階からのおれ個人としての目標が達成されるのは案外早いかもしれないし、それが達成されたと認識する頃にはまた違う目標が自然と浮かんでいると予想させてくれる。もしかすると将来おれがひとりで音楽を作ることがなくなることがあったとして、その時にも合唱団だけは続いているということもあるかもしれないと自然に思う。

練習のあと、幽谷混声のメンバーでもあるチェロ奏者の方と録音。合唱団のものではなくおれの録音物にチェロを入れてもらう。スタジオからの帰り道が、10月はじめの日暮れごろとして理想的な気候で、いいものが録れた満足感も相まっていとをかしかった。帰って、自分の作業の続き。



2日間の記録として書きたかったことは以上。果たして冒頭に言った印象的な流れというのが具体的にはなんのことだったのか、自分でも判然としないのだけれど、書き終えてみて、じゃあ流れなんて無かったか、というとそういうわけでもないとやはり思う。おれが見た景色はおれの頭の中にあって、それを実際には見ていない、かつ風景の描写はほぼないこの文章の読者の方が、感じ取ることができるようにここに書き写せているかどうかを、おれが判断するのは難しい。音楽を作る上でも、それが一番の課題。八王子、高麗川越生と、合唱団の練習をした新宿、チェロの録音をした吉祥寺、その道中のすべての景色を併せて経験しないともしかすると伝わるもののまったくない記事だということもありえる。今からそれを書き足すほどの熱意は残念ながらないし、読者の皆さんもその方が助かるのじゃないかと思う。
ただのブログだし。

メルマガとこのブログで、音楽活動の情報とは無縁の文章も書いていこうと思います。当然一番大事にして欲しいのは音楽の情報のほうなんだけど、こちらもまたよろしくお願いします。