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親は啓蒙の啓と言ったが自分としては啓蟄の啓というほうが気が楽

‪10年来の付き合いでたまーに連絡を取る後輩からこないだも久しぶりに連絡があり、そいつの近況について参考までに意見を求められるというような流れになって、話しながら自分についても思うところがあったので書き留めておく。そのとき話した内容とは直接関係ない話。

小学校低学年のとき自分の名前の由来を親に聞いてきて発表する、という授業があった。
ひらくは啓と書くのだけれど、これをうちの親は啓蒙の啓(けい)を訓読みにして啓(ひらく)だよ、とそのとき宿題の答に教えてくれた。ほんとに容赦がない。いや、容赦というより工夫がない。「啓蒙思想、ルソー」と意味もわからず覚えさせられる言葉が社会科の授業で登場するのさえ、これよりあとの学年でのことだった。ザビエルさんだってただのハゲだからよく覚える小学生に対してである。だからこそ工夫のしようもないと判断したのかもしれん。
両親ともに教師のようなものだったので、啓蒙という言葉から息子の名付けに字を取ってくるというのは、それだけ見ると安易すぎるくらいわかるのだけど、4つ上の兄の命名は悠々自適の悠なので、なんというか、次男への妙な厳しさを感じる。なにわかりやすいバリエーション付与しようとしてんだと言いたい。いや今書きながらめっちゃ言いたい気持ちが湧き上がってきた。自分ちの子供だけで戦隊モノでもやる気だったのか。

名付けに限らず、幼少期の環境や教育が人格形成に及ぼす影響の大きさ(というよりも不可抗性、不可逆性)を考えると今話題のこれ

【これは…】森友学園が運営する幼稚園、運動会の選手宣誓で安倍総理を褒め称える「安保法制 国会通過 良かったです」:はちま起稿

については深く考えさせられると同時に、考える辛さに苛まれて投げ出したくなる。
望まれて生まれてきて、親の願う形の人間になることはひとつ間違いなく幸福の形だと思う。
ただ、最終的に抗えないものだとしても、親と同じイデオロギーを持つことを疑ってみる自由と筋力だけはすべての人に担保されていてほしいと思う。自戒を強く込めて。


今となっては、極端な言い方をすればむしろ啓蒙というスタンスとは対極に理想を置いている、他人を少しでも変えたくない、それは自分に影響力があるとかないとかの次元でなく誰しもあるような、他人に影響を与える可能性のある場面というのを強く怖がっている。そしてもちろん誰も、人と関わらずに生きていくことができない、それはそのままおれの恐れることが毎日少しずつ必ず現実になり続けることを意味する。風が木の葉を揺らさずにはおれないように、他人になんの感情も起こさせないということは不可能で、感情が起これば必ずそれは少し人の状態を変え、状態は必ず恒常的な性質に微かに影響していく。微かなことであればもちろんおれも過剰に恐れるということもないのだけど、自分以外の人間の感情の動きが大きいか小さいかを断定できるということはありえない。繊細で優しい人ほど人の言うことを気にしてしまう、気にかけてしまうのだろうがつまりそういう人と関わるのが一番気をつかう。ただ困ったことに、おれは繊細で優しい人というのが好きなのだ。もうどうしようもなく。

おれから見て間違った選択をしようとしている人が目の前にいたとして、口を出したくなる傲慢に気付いて自分で嫌になるということをさんざん繰り返してきたし、そもそも自分の価値観が正解と強く信じる根性がもうすり減りきっている。
それでも口を出さずにおれない場面が未だにある。人にはどうかありのままでと美辞麗句を打ち出しておきながら、ただ偉そうなことを言ってしまって恥ずかしい思いを繰り返しゆっくり積み重なったトラウマへの防衛反応に過ぎないのかもしれない。

今のところそんな重責が近く回ってくるような予定は無いけれど、自分の子供に名付けをするということを想像するだけで震え上がってしまうのは言うまでもない。
自分の親を名付けの件で糾弾する気があろうはずもない。見事に体を表してしまった名と、無責任に楽しみながら戦っているという説明にもこのポストがなっていると思うけれどどうか。

冒頭の件で後輩に、人のことなんてわかりっこないからお節介はやめとくかな、おれなら、と伝えたら
「あなたは自分には厳しく、人に対して優しい人なのだと思っていた」というようなことを言われた。確かに以前のおれのほうをむしろよく知るそいつからしてみれば今のおれの言うことは意外なのかもしれんとハッとした。優しさとは何かということについて真剣に悩むそいつを心底愛おしく思いながら、おれは真剣に考えるということをいつか諦めたのかもしれんと思った。これは自分に甘いかもしれないけれど、真剣に考え続けたからこそ。できないことを無理にやろうとすることは、いまおれが思う優しさとは反対方向のものに繋がっていくような気がしている。


もうすぐ啓蟄。ほうぼうで小さな生き物が土の中から不思議とほぼ同時期に出てくる、そしてそれを自分1人ですべて知覚することは到底できないと理解している、そのイメージがまさに自由で、無秩序で、勝手で、でもdecencyやかわいらしさがある、おれの好きな春というものの、そのもの。

春が好きで、でもそれは寒いのが苦手なだけなのじゃないかという見方が年々強まる。それでもここ数日、春の始まりを感じてわくわくするのと同じくらい冬の終わるのをさみしく思う気持ちもあるように感じる。これは多分初めてのこと。もしこれからすぐまた冬が来ますと言われたら憤死しかねないというのも事実だから、本当に勝手な気持ちなのだけれど。



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