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夢と予言とふぁいる便

‪インタビューの原稿チェックしててふと考えたんですけども。
これは話がもっとうまければ解決するのかもせんけど、映像か、せめて音声じゃないと伝わらないニュアンスってあるじゃないですか。そこんとこの再現度の問題というのは、あらゆるネット記事のインタビューを文字じゃなく音声にしたら解決するんじゃないかと。
でも、それだと聞くのに時間がかかる。10秒分の情報を得るのに10秒かかる。情報というのは本来そういうものだとおれなんかは思っているわけですが、たぶんもう多くのユーザーは付き合ってくれない。特に一人でいる時、他人のテンポに合わせるということは当たり前ではなく、「わざわざ」そうする場面の割合はかなり減ってきてるんじゃないでしょうか。そういう意味で音楽とか映画はかなり貴重な、言い方を変えれば時代遅れのメディアになるし、ラジオを悪く言うわけでは決してないですが、いま時代としてラジオを聞くのに「敢えて」という理由づけの侵入を認めないわけにはいかないのじゃないでしょうか。もちろん多くのラジオパーソナリティはかなりテンポよくしゃべるけれども。もはやそういう問題ではなく。当然おれの姿勢としては、時間と密接な関係のある(時間が流れないと存在し得ないはずの)音という情報のその不器用さは加点対象です。

さて例えば、おれの使ってるバージョンのprotools(音楽編集ソフト)は、ミックスが終わってそれをひとつのファイルに書き出す作業のために、5分の曲なら5分がかかります。3分半の曲なら3分半。等倍でレコードをカセットに録音するような趣がある(実際にコンピュータがやっている作業は違うんでしょうが、あくまで趣)。
ただ、急いでいる時にはこれはとてもじれったいと感じる。圧縮したファイルにさえなってしまえば、五分の曲もネットに一瞬でアップ、すぐに他所からのアクセスができるようになるのに。
でも、5分の曲を情報として伝える、物理的な場所を超えて他所に渡すのに、5分かからないということは考えてみるととてつもなく不思議です。5分の曲を1分で説明、伝達して、1分後に受け取った側の機械はなぜ5分の曲のことをすべて知っているの??みたいな。
ファイル化してデータを送信するというのは、本来5分間ぶんの情報を早回しして早口で伝えているということではなく、5分の間に起こることをすべて完璧な互換性の単純な文字や記号に変換をして、ペタッとハンコで押すようにしたコピーを送り届ける、そして受け取った側では逆さまに変換をしてファイルを再生する、というイメージでいるのですが(違ったらごめんなさい)、これは機械でこその芸当で、人間にはできないはず。この、時間というものを抜き取り文字にして手渡し、それを別のところで文字を読み取って時間を吹き込み5分なら5分のものとして具現化する、という仕組みはものすごく予言っぽいなと思ったのと、もうひとつ連想したのは、夢。寝ている時に見るやつ。

比較的ハッキリした夢なんかだとストーリーがあって、確かに時間の流れが存在するように思うのに、あれはストーリーの中の時間と同じだけの時間が、眠る人のいる現実に流れているわけではないということを聞いたことがあります。どこで聞いた(か読んだか見た)のかも忘れたけど、それはなんだかおれもまさにそのように思う、と強く納得がいって嬉しかった。
A→B→Cという流れの物語の夢を見たとして、お話がAからCにいたるまでに1年くらい(ちょっと極端だけど)かかったとする。これを一晩で見た夢だとするならば、明白に現実の時間とは噛み合わない。しかもこの時に一晩、と言ったのは眠りに入ってから起きるまでの間のことで、そのうち実際にA→B→Cという夢を見ているのは一晩かけてではなく、文字通り一瞬のことである、というんですね。啓示的に伝わるvisionとしか言いようのないものとして。

AもBもCも、筋書きの全部の段階を一瞬にしてvisionとして知らされるなら、物語の中にいて先行きがわからず不安になったりすることはないんじゃないか?物語のAやBの段階ではCの展開を決して知らず、不安だった気がするのに、と一瞬疑った。けれども、それは「A→B→Cを俯瞰した場合」なのであって、夢の物語を知るのは俯瞰によってではない。visionとしてA→B→Cの物語すべてを一度に知覚するというのは、結末Cを知らない序盤Aの時点での感情も、すべて経験する(想像ではなく)ということ。
なんかヘッセのシッダールタを読んだ時みたいな気分になってきたんですが、この話、メチャクチャ宗教っぽいと同時に、さっきのファイル送信の話に酷似してると思いませんか?

ヘッセにも仏教的感覚にも憧れはすごいあるけどとりあえず一回置いといて、おれはさっきインタビューのチェックをしながら、夢を見ることができるのだから、人間にもファイルを受信して再生することができるぞ、と思いました。
時間をかけて再生なんてする必要もない、それをvisionとして一瞬で知覚することもできるようになる。上のほうで機械でこその芸当で、人間にはできないはずと書いたけれども、できる。
オフラインロックのかかったメモリースティックの形で2時間の映画を一本(もしくは10本セットで)買う、急に倒れたりすると危ないので周囲の安全だけを少し確認して耳の後ろの入力ポートにイン、3秒後には映画を見終わっている。クライマックス直前に涙を流したような気もするし(実際には流れていない)、もしかすると途中で飽きて居眠りをしていた気すらするかもしれない。精神と時の部屋みたいな話でもあるなこれ。鳥山明も同じようなことを考えたのだろうか。
そういう未来が来る。我々のひ孫世代くらいの頃にはそんな風になっているんじゃないか。我々の子供たちはきっと、5分の曲を5分かけて聞く最後の世代だ。
これは予言で、そして必ず当たる。どれだけ時間と手間をかけたものでも一瞬で消費されて忘れ去られていく、という意味では現代すでにその兆しはあるのだ〜〜!

ハッと気付いたら湯舟で携帯持ってウトウトしてた
夢か。
風呂上がって寝ますね。外明るくなってきたわ