謝辞、美しくはない思い出話

アルバムのツアーがひと区切り。バンドで東京大阪京都名古屋とやりましたが、実はこれツアー前編でした。後編はだいたいソロで回ります。近々おしらせします。
吉田ヨウヘイ4(吉田ヨウヘイ、西田修大、岸田佳也、熊谷東吾)という、臨時ユニットを組んで一緒に回ってくれた4人にまず感謝したいです。見ての通りよしむらバンドレギュラー(おれ、西田、岸田さん、熊谷、リツコさん)とベン図的に大きく重なるメンバーで、吉田ヨウヘイgroupの曲と、ロックマンのカバーをやってたんですが、ぜんぶ相当よかったのでこれきりと言わずまたやって欲しいです。

各地で共演の中村佳穂さん、長谷川健一さん、ベランダ、フレンチソニックスデュオ、会場のハードレイン、ナノ、ブラジルコーヒー、お客さん、みなさんのおかげで終始良いノリで三日間回れました。バンドで続けて三日間というのはよしむらチームにとっては過去最長タイで、この日程を良い空気でやり続けるというのは案外ハードルが高く、今まででダントツ良いツアーができたという達成感も強く嬉しいです。全員に深く感謝です。
今後ツアーには共演でなくとも必ず吉田さんに一緒についてきて欲しいぐらい、笑いの絶えない三日間でした。ほんとに楽しかった。
あと岸田さんはキング。



2014年の夏にグッドマンでやったソロワンマンを見に来てくれた絵描きの友達が、その前月に亡くなったおれの友達のことを書いたブログを読んで、あの日は来ていたのだと思うよ、よしむらくん左上のほうなんとなくずっと見てたでしょう、と言ってくれた。確かになんとなくおれの視線はステージから見て左上のほう、ドリンクカウンターの上のあたりをさまよってたのはよく覚えてるけど、何かを感じてということはなく、ただ楽な姿勢を追求した結果ぼんやり固定されていただけのことだったと自分では捉えている(その話をしたからか、妙にはっきり覚えてはいる)。
でもまあ、そういうこともあるのかもしれん、だったらまあちょっと嬉しいような気もするかもしれんなあ、と思っていた。

こないだの名古屋ブラジルコーヒーの日も、ステージから見て左上のほう、お店の出口の外の車道の光をなんとなく見続けながら歌っていて、それがどことなく懐かしい気がするなと感じていた。というかそういうのはたまにある。どちらかというとどこを見て歌ったら良いかわからずできるだけ何もないほうに視線をやろうというのがそのときの体感。最近はあんまりなかった気がするけど。というのは、歌いながら2014年のグッドマンのソロワンマンの日のことを思い出していた。

今回特に最終日、名古屋でのライブが印象深いものになったのは、もしかしたらシゲさんのおかげだったかもしれない。実際に良い日になったのは特別長くて温かかった拍手や吉田さんのヤジのおかげであるのが大きいけれど、こじつけたくもなるようなタイミングの良さですよと伝えたい。

ツアーから帰ってきて知ったのだけれど、ロフトのボス、シゲさんが亡くなった。亡くなる直前に故郷の空気が吸いたいというようなことを言ったらしい。ロフト主催の海辺フェス、rock on the rock開催地が愛知だったのはシゲさんの故郷であるからだった。おれは2010年と2011年の二回参加させてもらった(2010年は嵐で当日サウンドチェック中に中止が決まり、ボランティアのみなさんの前でだけ春を歌わせてもらった)。

はじめなかおわり、2012と井の頭の2枚のEPを、ロフトのレーベルであるクラックスから出したたぶん最後のアーティストとして本当にお世話になった。
訃報に触れて、何よりもすみませんという気持ちが、初めて一番強かった。優しさに甘えて無茶苦茶なことばかりした。一緒にうまくやろうという意識が無かった。それでもおれのアーティストとして無駄に高い鼻を折らぬよう気を遣い続けてくれたのは、優しさとして単純に説明のつく想いにのみよるというのでもないだろうし、それをおれは金輪際知ることができないままになってしまった。最後に2人で話した、ロフトの裏の飲み屋でごちそうしてもらった時に、いつもの調子で冗談めかして俺死ぬかもしんねえ、と言ってて、自分がなんて返したのか覚えてないけど、なんだかんだ言って結局そんなにすぐってことは無いだろうと思っていた。

ひらく、好きな女の人をステージに上げてさ、これがおれの好きな人です、この人のために歌います聞いてくださいっつってライブやれよ、と言ってた。いや〜無理っすねそれは〜って言いながらそれはつまりどういうことなんだろうと考えてた。未だによくわからないけど、なんかおれに足りないものを教えてくれようとしてたというのはわかる。それがなんなのか、もしかすると今後おれにわかることはない、方向として全然違うほうへおれが進み続けるのかもしれない。いつかどっかでビビッとわかるかもしれない。
シゲさんのことを考えるとき、2010年から2013年までの、おれの人生で最低のことと最高のことが目まぐるしくやってきた、なんだか気持ち悪い火傷の跡のような時期のことを思い出す。世田谷のアパートで1人めちゃくちゃな生活をしてたことを思い出す。ロフトの打ち上げでマサムネさんと話したことを思い出す。地震のこと、原発のこと、今はあまり会わなくなった友達、随分とひどいことをしてたぶん今でもおれのことを恨んでる人、とうにおれのことは忘れてるだろう人、今でもまだ近くにいる友達の当時の様子、作った歌、作ったけどやらなかった歌、そんなに長い時間が経ったわけじゃないし、ふつうに今に全部繋がってる。大して何も変わってないような気もするけどじっくり思い出すと何もかもが少しずつ全く違う。おれ自身より世間とか周りの環境のほうが大きく変わってるようにも思うし、違うかもしれない。
相変わらずキツいことばかりで常にガタガタだけど、なんとか気分の軽くなるような方向へ向かっていってると思う。それはおれにしてはまあまあよくやってると言いたくなる努力による。

弔意は死者でなく残された人のためにはたらくものだというのはずっと持論としてあるけれど、それはつまり死んだらそこで全てが終わりというのじゃない、ということがよりはっきりとわかった。特にシゲさんのように多くの人と関わった人なら、そのぶん多くの人の頭の中に居座り続けるでしょう。記憶は薄れていくとしても、もう死んでるぶんおれらは好き勝手に笑ってる顔だけ良いように思い出せる。実際少なくともおれの前ではほとんどずっと笑ってくれていた。



ブログに書くようなことなのか迷ったけど、というか書く気はなかったけどさっき1時間だけ寝た間に夢を見て、起きたら書きたい気分になっていた。夢の内容は全く関係ない。夏のスキー場のわきっちょの変な施設で夜中にお芝居をやる手伝いをする夢だった。いやおれは大舞台に立ちたいのよ。