460円

おれの吸い始めた頃から比べても1.5倍くらいの値段になっているラッキーストライクという煙草はいまひと箱460円。繰り返す値上げにそのたび基本的には苦々しい気持ちで向き合いつつ、けれどもその感情は単純なものではない。これが高いのか安いのか最近わからなくなってきた。もちろん答えはひとの数だけあるだろうがともかく欧米に比べたら安いとかそういう話はちょっと置いておいて欲しい。いまの日本で煙草を買って吸うことにかかる感情の話をします。
煙草自体の値上げに加えて、特に都会では堂々と喫煙ができる場所がすごい勢いで減らされている。「煙草が吸える場所が減る」というのはそのままの意味でも、重要なのはその場所が減ることによって限定された場所に喫煙者とそれに随行する煙が狭い範囲に集中し、その場所の喫煙環境が悪くなるということ。入ったことの無い人にも是非一度、一瞬だけでも覗いてみて欲しいが最近の喫茶店のパーテーションスペースの中は喫煙者にとっても地獄のような煙たさ、煙臭さである。煙草は嗜好品であり、喫煙という行為は趣味性の高いものなので、その環境の良し悪しが本質的に大きな問題になるというのは当然だ。
値上がり、喫煙環境(セミイコール煙草というものの魅力、質)の悪化の波の中でも、非喫煙者による喫煙者の擁護の空気はほぼ無い。嫌煙家の意見は強く、圧倒的に正しい。煙草は百害あって一利なしというのは動かぬ事実であり、これは非常に重要なことだがそんなことは重々、我々も承知している。新世代を中心に煙草を吸う人間はこのままどんどん減っていくことだろうと思う。
それでも煙草を吸うことの理由はただ煙草が吸いたいからに違いはないのだが、理詰めで戦いを仕掛けてくる圧倒的な力に対して、「ただ煙草が吸いたいから」といって逃げ切るのも難しい場面が増えてきた。

改めて確認するまでもなく四面楚歌の状況にあって、この460円という値段の中に含まれるものは複雑になってくる。こないだふと思ったのには、これだけマイナスの理由が揃っているものに敢えて払う代金、もはや合法的な犯罪に手を染めるための悪魔の切符として、460円×二箱×30日で月2〜3万程度では逆に少ないのではないだろうか?
千葉雅也先生がもし少しでも近いことを感じられていたとしたらならうまく言葉にされるかもしれないが、おれには字数を尽くしても論理的に説明することはできない。ただ感じたことは確かなのである。
おれの健康を心配する純粋な善意からくる声と、自分の不快感や社会を代弁しての嫌悪感を表明する欲求からくる糾弾、複数の圧倒的に正しい声に対して、非暴力不服従で決して抗わず、謝罪の意思もありながら、それでもひたすら逃げ続け、吸い続ける物語としての喜び。これがそもそも金で買えていいのか。買えてしまっているのだ。


さて煙草として高いのか安いのかよくわからない460円、そのひと箱の値段で販売されるおれの日記的録音音源は高いのか安いのか。答えはひとの数だけあると思います。
試聴、購入はこちらから。
https://studiorotha.bandcamp.com/album/summer-2017-recording-2017

一曲は先日サウンドクラウドに公開した「summer affair」に微調整を加えたもの。
二曲目はおれの記憶が正しければ2012年ごろにはほぼ完成形のデモがあった「夏の光と影」という曲。曲作りよりも録音がしたかった日に過去のネタを漁っていて掘り出し、後半の歌詞を完成させて録りました。もちろんタイトルは石川セリさんの「八月の濡れた砂」から。
三曲目はpaul simonを聞きながらリズムとアルペジオから作っていった「hiji」です。毎日を頑張る女の子の出勤ソングです。