路上で歌っていた頃の話

きっかけがなんだったか忘れたけど、路上で歌っていた頃のことを思い出した。はじめに言ってしまうと、特にいい思い出というのでも、悪い思い出というのでもない。今またやりたいかと言われると、まあやらないかなというかんじ。

おれが高校に上がるタイミングで家族は都内での引っ越しをした。そこからおれの通った高校へは私鉄で西へ20分、JRに乗り換えてひと駅。87年度うまれは都立高校入試での学区制の縛りがかなり緩和された最初の学年だったらしいけれど、それでもおれよりその高校に近いところに住んでいる同級生が多かった。自転車で小一時間かけて通った時期もあったし、友達と一緒に帰ったり、友達の家に寄ったりして徐々に学校の近辺から脳内地図が広がっていった。その脳内地図でオブジェクトの密度のいちばん高い、未だに東京でいちばん地元としての愛情が強いのはその高校と当時住んでいた家の中間のエリア、家側から見てJRに乗り換える少し手前のあたり。週に1、2回だけ行って三年目にやめたとはいえ大学は家から見て東の方だったので、自然と行く回数は減ったけれどその西側の地元エリアの、ある特急の止まる駅の前で、十代の頃はときどき歌っていた。路上以外でも、ちゃんとしたライブをやっていたのはライブハウスよりアコースティック小屋のほうが多かった時期。

路上で歌うのはなかなか勇気のいることで、でもだからこそ自分を奮い立たせるように時々でかけていくのが好きだったのだと思う。10年経ってさすがに見かけなくなったが(おれの生活圏が変わっただけ?)ストリート出身のアコギポップデュオの威光がまだちらついていた時代、反対に今よりさらに湿っぽかったおれのメンタルも音楽性も、路上で歌うのに向いているとはもちろん言えなかった。メジャーレーベルとの育成契約(今思えば本当に、なんじゃそらなんだけど、当時のおれにとってそれがどれだけ鼻高かったことか)もあり、ライブハウスでの知り合いも増え始めていた頃、なぜわざわざ路上に歌いに行っていたのか、つまり今より打算的でなく、何かやるのにそれが必要かどうかなんて大して考えなかったということなんだろうか。初めて路上で歌った高校二年の夏(たぶん)のことは当時つけていた紙の日記に“忘れまい”と書いた(忘れた)。

路上で知り合った何人かの年上の人たちのことをぼんやり覚えている。
マイクやらバッテリー式のアンプやら持ち出して来ていた、おれより少し年上のフォークデュオのふたり(Oさんと、もうお一人は悔しいけれどお名前を失念)。歌ものであることに違いは無いけれどJポップぽさは薄く、渋めの音楽性だった気がする。洋楽とか好きなんだろうな、と当時英語の歌を聞けなかったおれは感じた記憶がある。何度か会って話すようになった頃にOさんが、少し離れたところでゆずのカバーをやってお客さんを集めている垢抜けた三人組を恨めしそうに見やりながら、おれに向かって-あの人たちがああやって集めた10人のお客さんより、よしむら君がここで歌って1人聞いてくれる人がいたらその方が絶対に価値があるよ、というようなことを言った。その言葉を聞いて当時おれがどう感じたかは覚えてない。音楽が好きでたまらない、というかんじの二人だった。

もう一人、さらに少し年上の(たぶん、30~35くらい)、Kさんという短髪ヒゲメガネのソロシンガーとも何度か一緒になった。aikoさんの曲をキーを変えずオクターブ下でそのままカバーしていた。あまり仲良くはならなかったけれど、いかにも堂々とした、余裕のある口調で話す人だった。ある時、今度僕の曲がVシネのテーマソングに使われるのだ、ということを言っていた。Vシネがなんのことかわからず、まあ映画の一種だろうと思いながらも、その誇らしげな空気にVシネってなんですかとも聞けず、それでもなにやら心底うらやましかった。

シンガーだけでなく、よくその辺りの路上を聞きに来ていたお客さんの友達もできた。Mさんという女性はそのあとしばらくおれのライブハウスでのライブにも来てくれるようになった。何度かわけもなく手紙をくれた(本当にわけもなく、誰に対しても同じようにということだったと思う)。その中に-職場の人から「したたかな人」だと言われました(自覚あります)、したたかというのは強かという書き方をするのを知ってましたか、という内容があった。Mさんとはマイミクにもなり、ミクシイの日記には時々リストバンドをした手首の写真が上がっていた。

一度、上の四人とおれ、合わせて五人でカラオケに行ったことがあった。誰がどんな曲を歌っていたかはなぜか全く覚えていないけれど、当時未成年で今以上にお酒を嫌っていたおれと、たぶんMさん以外は盛大に飲んで、たいそう酔っぱらっていたと思う。清算のときに、まずまずの飲み会のような会計を見て割り勘で、と言う酔漢たちに、最年少のおれを気遣ったMさんが -よしむらくんは飲まなかったから少なめでいいんじゃないかな?と言ってくれた。いいですいいです、と言うおれのことをMさん以外は気に留める様子もなく、そのまま会計を済ませて解散した。
それ以降おれはその駅前に歌いに行くことが減っていった気がする。この日のおれの気分を想像するに、凡百とは違う特別なミュージシャンになってやろうとか、おれだけは音楽を極めてやろうとかの力強い想いに加えて、大人の飲み会に参加できたという誇らしさもまだあったんじゃなかろうか。

他にも小さな思い出はたくさんある。そこらでは当時一番の人気者だった、長身で明るい髪色のお兄さんが置いていたチラシにリクエストできるアーティスト一覧があり、その中にくるりの名前があったので歌ってもらった“虹”の間奏のコード進行が省略されていて、そのことを肯定的にも否定的にも両面から考え込みながらその日は結局自分は歌わずに帰った、とか。
音楽がやりたくて沖縄から昨日上京して来たというIさん(沖縄の音楽シーンのことをほとんど憎んでいた)と意気投合するも、そのとき誘った直近のライブにはついに現れずそれきりになった、とか。
寂しかったので呼び出したバンド仲間が歌うおれを見つけた瞬間に笑い出し、理由を聞くとあまりに目付きが悪くて、と言われた、とか。

あの頃は今より楽しかったのか苦しかったのか、考えてみたけれど何もはっきりと断言はできない。ただ、10年経てばもう全くの別人だというふうに漠然と考えてきたのは、それはまあそうでもないのかもなあと思った。10年前のおれと今のおれがそれぞれ似たような出来事に出会ったとして、リアクションとして抱く感情は全く違ったとしても、今の感じ方に移動してくる前に、元々は-10年前なら-このような感じ方をしただろう、ということがわかっていて、その移動が無意識のうちに意識されている、というような。
人が何かを忘れる、ということがありえたとして、その場合にも過去に経験した全てのどの時間よりも(たとえば、1分前にも)前の状態にそっくり戻ることはできないという事実を思えば、覚えていることと忘れていることの差異というのは小さなものなのかもしれない。ひとつのことを覚えている状態と覚えていない状態の差異、というほうがあってるか。