ホウキのじいさんの思い出話

時期はよく覚えてないけど2年ぐらい前に、当時の家の最寄の2つ手前の駅で降りて歩いて帰った時のこと。平日の真昼間だったと思う。ツイッターでなんとなく書いたような気もする。


降りた駅から5分くらい線路沿いの道を歩いたところにまあまあ広めの畑があって、人通りも少なかったので、その畑と道を隔てるコンクリートの段差に座って煙草を吸っていた。

音楽を聴くだかツイッターでも見るだかしてゆっくりした時間を過ごしていたら、80ぐらいには見える元気そうなじいさんが道をホウキで掃きながら凄い勢いで近づいてくるのに気付いた。
あかん、叱られると思い立ち上がろうとしたら案の定呼び止められた。関係ないけどイヤホンをしている人に平気でノーモーションで話しかけられる人はどんな世界でも強く幸せに生きていけるだろうなと思う。これまでおれは何人のそんな幸せな人たちの呼びかけに気付けずスルーしたんだろうか?これはまたさらに別の問題。

─すごい粉でしょ。迷惑な。ここの畑のレタスが乾いちゃって。

なんのことを言ってるのかわからず、とりあえずどうやら怒られなかったぞ?と思いながら話を聞いてみると、じいさんはその畑の持ち主でもなんでもない近所の住人で、むしろその畑の持ち主が植えたレタスを収獲もせず埋めもしないので、乾いたレタスが砕けて粉になり風に舞って大変だと憤っているようだった。言われてみれば足元には緑と茶色を水で薄めて乾かしたような色の細かい粉塵が積もり、またその粉塵が強い風に巻き上げられてそこいらじゅうに散らばってもいる。

話の大筋がやっと飲み込めた段階ではまだ、おれは自分の煙草の灰のことを遠回しに非難されているのだろうというつもりで聞いていたが、どうやらじいさんがどうしても話したいのはレタスの粉のことのほうで間違いないようだった。というか、じいさんは純粋に話がしたかっただけのように感じていた。言葉を発することで外界に何かしらの影響を及ぼすことを期しているのではない"なんでもいいから他人と話がしたい人"が話す時のあの感じがした。

実際、じいさんの話は無限に終わらないように思えた。じいさんの言うところによると、じいさんから見て迷惑な隣人であるところのその畑の持ち主は若い夫婦で、持て余した土地を畑にしておいたものの野菜を植えるだけ植えてろくに世話もせず、結局この通りに収穫もしなければ後始末もしない。粉がひどくって咳が出てしょうがない。角のところのケーキ屋さんなんて、自動ドアが開くたびにレタスの粉が店内に舞い込んで本当に大変だ。まったくまったく、けしからん、ということだった。

おれからしてみれば収穫をし損ねたレタスは土に埋めなくてはいけないということも初耳で、立ち去りたい気持ちMAXでぷるぷるしながらもついうっかりお父さんお詳しいんですね、なんて言っちゃったもんだからじいさん喜んで話が止まらない、というか完全におれもおれで、じいさんが北海道の生まれだというのでついうっかり北海道よく行きますよとか言っちゃって、最終的にはじいさんの学生時代の友達の家(北海道のどこか端のほう)に何十年ぶりに車で遊びに行ったがその道には信号がちっともない、という情報を得た。

一時間が過ぎ、おれに話しかけるまでにじいさんがちりとりに集めていた分のレタスの粉があらかたもう一度風に舞い直した頃、じいさんの胸ポケットに挿してある携帯(ピッチ?らくらくホン?)が鳴り、じいさんは通話をし始めた。
電話はどうもホウキを持って出て行ったじいさんの帰りが遅いので何やってんのという感じでかかってきた、家の人からのもののようだった(電話口で、「今掃いてるよ」と言っていたのでそれとわかった)。
おれは失礼ながらじいさんのことを、いつも家に一人で話し相手がおらぬために、おれのようなもののところへやってきて話しかけていたのだと予想していたので、それが裏切られて少し寂しいような妙な気持ちになった。それでもこの好機を逃してはならぬ、電話が終わらぬうちにと素早い動きでじいさんの正面に回って会釈をし、その場を立ち去った。

さて、じいさんが話したことのすべてが事実だとは限らない─レタスの処理をしないのは本当に若夫婦の怠慢なのか、やむを得ぬ事情があってその説明も直接若夫婦から受けているということだってありえないとは言えない、ケーキ屋さんは舞い散る粉のことを、案外まったく気にもとめていないかもしれない(お店の暇な時間を見計らって来襲したじいさんが畑の持ち主をボロクソに非難するのを、店員のお姉さんがうまく愛想笑いしながら聞く画が、誠に勝手な想像として浮かんだ)。こう書くとおれがまるでじいさんについて何かしらの悪い感情を抱いたかのように受け取られるかもしれないが、そんなことはない。ただ客観的な事実として、初めて会ったひとりのじいさん(それが仮に婆さんであっても、青年であっても同じことだ)がこっぴどく非難したとして、おれが自分で顔を見たわけでもない若い畑の持ち主がどんな人たちなのか、おれには確かな情報は何1つないのと同じだということが言いたいだけである。
そしてもうひとつ大切なことは、おれ自身はその畑の持ち主からなんら迷惑を被っていないということ。これは実はおれは大事な考え方だと思っている。罪があったとしてその重さは直接的間接的に被害を受けた人間の感情の合計を超えてはならない、ということ。

話逸れたか。もともとなんの話だったか?
一見、寂しくて仕方がない独居老人に捕まってまるまる一時間も話し相手になってやったシンガーの男の話に見えるかもしれないが、掃除に出たじいさんには帰りを心配する家族が家におり、かたやその日のおれにはたぶんどうせ夕方以降も特に用事はなかったから、実際のところその話が夜中まで続こうとなんの問題もなかったのである、という話。久しぶりにそのあたりの道を通って、懐かしくなった。