リハビリテーションブレイクダウン

先日、無事に誕生日を迎えまして31になりました。自分のものに限っては誕生日なんて年々どうでもいいものにはなっていきますが、それでもお祝いの言葉をくれる人がいるのは嬉しくなりますね。


去年は誕生日を祖父の病室で二人きりで迎えましたが、今年の誕生日はその祖父の一周忌に関西のほうへ行っていました。墓参りの場で、気の早い(そして息子たちへの信頼が薄い)母が既に自分の墓をここに買ったと、場所を覚えとけ、ここの右から二番め、と溌剌としているのをみて、常々悪いところが自分とそっくりだと痛感させてくるこの母親が、それでもうまく生きてくることのできた理由について考えを巡らせました。
兄の小さな娘がそこに二人一緒にいて、既に自分の墓を用意している母親がいて、その間あたりの位置に自分がいることを考えると、相対的に自分の誕生日がなんでもないものに思えるのもまあ然もありなんと腑に落ちたようにも思いました。

去年、祖父が亡くなる前の数日間、水は飲ませられないけれど自分で口が閉じられないので水を含ませた綿棒で唇を湿らせる、ということを一晩中続けていたのを、そのときの静かな感情や部屋の空気のことを、墓石に水をかけながら思い出さずにはおれませんでした。ふつうに考えれば惨めな状態を、家族にでも晒すことを本来は許すような人ではなかったと思う。永らえれば誰にでも訪れるはずの、老いという一般的な概念を、自分自身に宿して体現することのつまらなさ。どんな風に独特な人生を歩んできたとしても、その全部を平らに均して誰も同じところへ落とし込んでいく、抗いようのない老い。それもかなりの確率で不可逆的なもので、その不可逆性を本質的な要素として持っている、衰えから死への一連。

例えばこんな風に孫が感傷的になることは祖父のプライドに照らして許せることなのか、とかむしろそんなプライドの心配をされることこそ不愉快なことなのか、もちろん考えても永遠にわかるはずのないことなのですが。
31になってまだ「まごころは通じる」という初等道徳と戦おうとしている孫を、なにより情けなく思うというのが答えであるかもしれない、それはわかりません。もしかすると70近く歳上の祖父から見ても時代遅れの孫かもしれない。

さてよしむらひらくとしては活動休止宣言を解除しないままにソロでのライブをお受けしています。不可解に思う向きもあるかもしれませんが、自分の中でのルールに照らしてオッケーが出たので。せっかくお誘いいただいたイベント、できれば深く考えず会場に遊びにきてもらえたらと思います。たまたま二ヶ月間で三本やることになりましたが、7月以降も定期的にライブが続くということではありません。現状ではその後なにも決まっておりません。おれのほうから自主的にスケジュールを組むということはまだ当分ないと思います。誘われたらすぐには断らずに検討する、というスタンスです。
活動を休んでいることを知っていてライブのお誘いをくださる、というのは素直に嬉しく思うことです。それこそがいいという意味でもありませんが、ともかく。最近スタジオローサのツイッターで、情報的なものだけじゃないつぶやきをし始めたので、そちらの方も是非読んでもらいたく思います。

先日、仲間内のパーティーを二人で少し抜け出した喫煙所で、やるならちゃんとやりなよという要旨のことを親友から言われました。まあそうだよなあとも思ったのですが、おれに有効なルールはおれにしか決められないということを十分に理解している奴の言うことだったので、それもまたそれです。きちんと受け止めているつもりではいますが。

改めて繰り返すことになりますがひとつ確実にお伝えできることとしては、自分の表現と人生をともにより良いものにするための期間で今があるということ。活動休止という言葉が例えば辞書に載っていたとして、その一般的な意味はもちろんおれには関係なく、時間がどれだけかかってもあらゆる面で以前より良い音楽を作ることができるようになる、そのために必要な期間だと確信しています。確信していますというのは、つまり実際のところはわからない、次に新しく音楽を作り活動を始めた時にならないと評価のしようがないということでもあります。
ひとつ明確な目標があり、そいつを達成したと思えるまでは本格的な活動の再開はしないと決めています。その目標がなかなか困難なもので、例えばこれから1,2ヶ月でさくっと達成できるようなものではなさそうだというのが今の見通しです。

一時http://studiorotha.comが更新できない状態になりましたが、web顧問に相談してひとまずことなきを得ました。ライブの情報も更新していますし、サイトのコンテンツを新設する準備もしています。歌を歌わないよしむらひらくが誰かにとって価値のあるものなのかはわかりませんが、他人にとっての自分の価値は守るよりかなぐり捨ててこそ始められることもある、自分として今やろうと強く思ったことをやっていきます。