暑い。自分語り

日記です。


旅行中に好きな本を読んでいた。
過去には、同じ本を読み返すときは疲弊しきっていて救いを求めるような、例えば高校時代に好きだった懐かしい音楽を聴くのと少し近い欲求に従ってその本を手に取り、最初の1ページを読み終わる頃にはすでに涙が流れ出している、というようなこともあった。
最近はおれの生活そのものや、志向している生活のあり方が合理化してきたのか(関係ないが、合理化しうる部分は完全に整頓し終えた後でないと、論理的な意味の詳細に把握できないタイプの表現に感動することは許されない、というのがおれの考え方である)、今回は読み進めるうちに、ただ純粋に自分の生きかたの姿勢について問いただされているような気分になり、少しもすっきりしなかった。今もしおれが具体的な問題を抱えているのだとしたら、それは本を読むことで解決することはおろか深刻さが和らぐようなことさえ起こらない、問題はただ問題のままであるということが明確に顕在しただけだった。特にここに書けないような個人的な問題を抱えていると言うわけでもないのだけれど。
少し困った時に何度でも読み返す本を持っている、というのは強く拠り所になると思ってここまできたけれど軽いしっぺ返しを食らった格好。永遠に一方的に依存させてくれるだけの親しい存在などというものはあり得ないと、考えてみればいろいろな事柄に当てはまる当たり前のことを確認しただけとも言える。
そもそも表現作品に疲労の解消やいわゆる癒しのようなものを求めるという姿勢はご存知の通りけっこう危ないことでもある。多少正気に戻って自分のことは自分でなんとかしようと思えたことをむしろ収穫と思うことにする。
本来自分に親しい存在というのは、まずい時にまずいと教えてくれるものだろうと思う。

本を読むという話をすると読書好きというカテゴライズにあてられることがあるけれど、おれのイメージでは読書好きというのは古典、最新トレンドに関わらず色々なものを読む人。おれの場合は好きな作家が1人2人しかいないので、たぶん本が好きなのではなくその人が好きなのだと思う。音楽に対しても同じような感じ。自信を持って音楽好きを名乗ったことは今までの人生で一度もないと思う。文章の世界よりは多少音楽のほうがいろんなものを知っているし、好きな音楽も多いけれど。
ただ、表現のジャンルに関わらず、初めて出会った時にこれはちょっと自分には難しいかなと感じたものに対して積極的に理解のトライを重ねようという姿勢は、なんだかんだ言って必要だなとは思う(この姿勢に対する賛否はおれにとって20代前半の頃とくに課題であって、これまでも何度も態度を変えてきたので、この先またどう言ってるかはちょっとわからない)。わからなかったことがわかるようになる、ということ以上に人生を強く肯定できる体験はそんなにないと思うんだ。

おとつい、急遽決まったよしむら畠山デュオでのライブがあった。自分たちの感触としてはなかなかよくやれたと思う。デュオのライブはノリと空白の置き方において(けんじのギターに関してはもっと全体的に)即興の要素が強く、体調や気分を大きく反映し、最終的に運で決定される内容で、綱渡りをきれいに成功させられるかどうか、それに対しての自分の気分の動き方はどうか、これをやると自分の状態がよくわかる部分がある。今はかなり歌を歌うのにちょうどいい状態だと自分で感じた。PA山田さんの返してくれた声の質感が最高だったこともあったけれども。
終わったあとその場でけんじと一杯だけ飲みながらちろちろ話をした(おれらはステージ以外ではいつもそんなにしゃべらない)。20代前半の頃から見ていたおれが確信していたレベルにはまだ全然足りないけれど、それでもギターの仕事が調子よく増えているけんじの最近の自分や環境に対する感じ方を聞いて、いいねボタンを奇数回連打するような気持ちになっていた。ほんとにあいつは腑に落ちることしか言わない。これは明らかなカーブフィッティングで、おれにとってこれだけ共感できることを言う人間が世間一般に広く受け入れられていくということはあり得ないと断言できる。それでもとにかくブレずに貫いてきたものが今明らかに実を結び始めている、けんじの人生にマジで幸あれかしだし、おれとして我が身を省みてそのブレ具合に静かに食らう場面でもあった。

逆に客観的になれず、極端に悲観的になってしまっているのかもしれないがそれでも、考えてみれば成し遂げたといえるところまで何かを諦めず貫いたことがない。また少し考えが変わってきて、音楽活動の再開をしてみてもいいかなと思い始めている。活動休止さえまともにやり遂げられないのかというのは冗談としても、ブレまくりの自分自身にいい加減愛想が尽きる。ただ、いま歌うことが気分が良すぎる。

毎年改めて驚くけれど、それほどに暑い時期がまたやってきた。夏は昔から蛮勇が湧いてきて楽しい季節ではあるけれど、そろそろ体調を優先した生活をしないとどうにもならない年齢になってきていると思う。人生全体で見て身体的な(脳の機能も含む、というところがなによりきつい)意味では明らかに下り坂に入っていて、これがもう一度上り坂になることは恐らくないと考えるとクるものがある。抗うよりも諦めて別の考え方を探るほうがしっくりきてしまう。実際の劣化よりも、素直に諦めてしまうことの影響(=逆から見れば抗うことの効果)の方が大きいということもわかっている。また肉体労働でもやれば少し若返ることもできるにせよ、しかしそれも別の見方をすれば老化をより進めることになるのじゃないか、と穿った感じで考えてしまう。おれは自然な大きい力の働きというもののほうを深く信仰していて、それに抗う方向のあらゆる行動は惨めさや悔いを拡大するだけでしょと考えて反射的に避けてしまう癖がある。これでだいぶ自分の人生を小さくつまらないものにしてしまってきた自覚もある。それでも不自然だと感じる方向へは一歩も譲りたくない。
変わらずに貫き続けてきたことがおれにあるとすればこの姿勢ぐらいかもしれない。単なる怠惰だと言ってしまうこともできる。