10月&11月

とにかくこのふた月は制作、制作で性格が変わるくらいバタバタしてる。ライブがあるおかげで常世から切り離されずに済んでる部分はある。12月には完全復帰の目処にもなるツーマンもある。1つも取りこぼさず、灰になるまでやる。灰になる前に必ず大きな成果を得る。必ず。

まずは12/14スーパーノアvsよしむらバンド全員のツーマンはみなさん、なにをおしても来てほしいです。最高の日にできる。


10/5
に角すいのバンド編成、ご角すいとツーマン。
この日初対面だった飯島さんへのシンパシーがすごくて、長い付き合いになりそう(なったらいいな)。
おれはふくいかな子先生とのデュオ。このデュオはよしむらひらくのいち形態ではなく、よしむらひらく+畠山健嗣のような独立した、というよりもっとよしむらひらくの活動の遠くから出発する音楽つくりユニットとして計画しているので、今はそのためのスタート準備期間という感じ。遠くないうちにお知らせできると思う、作品は作ってます。


10/20
よしむらひらくwith幽谷混声でCINRA pre.NEWTOWN 多摩センター。アコギ2、グロッケン、鍵ハモ、チェロ、ボーカル専2、の7人編成。この日の動画あります。
https://youtu.be/VVRMdpqF_P0
短いけど完全なソロ弾き語りの映像も含んでて、これは逆に今まであんまりなかった。そこも見てほしい。
図工室のシチュエーション、音響(ほぼ生音でおれのギターと声だけ少し浮き上がるようにしてもらった)がすげえ良かった。多摩センターもおれにとっては中学時代以来遠からず近からず縁の強い街。嬉しかった。西海でラーメンを食べて帰った。


10/23
しかたの「うまれてくる人たちへ」カバー公開。
https://youtu.be/mRJx5IqJ3AQ
動き出したばかり(まだ動き出してもないとも言える)のしかたの音楽人生が超最高なものになるように、期待と願いを込めておれとふくいさんで手伝った。ともかく聞いてみてくれや。今後の動きも是非見ててほしい。


11/5
吉祥寺nepoでソロ。大好きなリツヨシが対バンだったのでリツコさんにピアノとコーラスをお願いしてぶっつけで2年ぶりに二人で歌った。
ほんでリツヨシが突然おれの曲のカバーをやり出してびっくり嬉しかった。めちゃよかったのでまた聞きたいな。
対バンがわりと、昔からバンドで見てたけどソロはあんまり知らなかった人たちで、こんなにいい歌歌うのか、と驚きつつ、こういう地力のある人たちから抜きん出なきゃいけない、圧倒的なものを身に付けてそれを人にわかるように表現しなきゃいけないのか、と改めて腹に力を入れ直す必要を感じた。良いミュージシャン、良い歌い手はたくさんいる。たくさんいるから相対的に価値が下がるというわけではないけれど、世間は決して親切ではない。


11/17
調布に新しくできたライブハウスcrossにて、何度か録音をやらせてもらってるbulbs of passionがイベントに呼んでくれて新編成よしむらひらくwith電話バイトで出演。ライブ前にみんなで多摩川を見に行った。電話バイトのメンバーのうちベランダの3人は京都から東京に来てまだそんなに経っておらず、多摩川を結構喜んでくれたみたいで嬉しかった。実際いい夕焼けが見られた。
吉田(ヨウヘイ)さんがイベントの最後ちらっと来ていたらしいけどニアミスで会えず。めちゃくちゃ会いたかった。
ライブは手応えがあった。年下のメンバーたちが楽しんでやってくれているのが嬉しい(よしむらバンドは年下がシカタだけ)。電話バイトはまた12月にやります。


11/27
吉祥寺nepoにてよしむらひらく+畠山健嗣。ネポの早瀬さんはよくけんじデュオにオファーをくれるんだけどけんじが忙しくてなかなかスケジュール合わず、半年開いてしまった。
演奏はかなり良くできたと思う。録音期間中はライブが下手になる、というのがこれまでだったけど録音も長い期間になってくると毎日楽器を触っていることのいい影響だけがライブにもうまいこと出るようになるのか?けんじデュオは元々ある面では一番いいパフォーマンスが出せる場所だからということもあっただろうし。
メンタル的にはここのところだいぶ自分を追い込んでいるのでMCはちょっと毒づいているように取られたかもしれない。けんじと早瀬さんに怒られたので反省しつつ、でも口をつぐむのではなく、もっと研ぎ澄ませる方向で誰も傷つけないおしゃべりができるようにならないといけない、とも考えた。





10月は台風の被害がひどくてまた本当に嫌な気持ちになった。千葉の実家と数日間連絡がつかなかったという人の話を聞かされて、それ自体はひどく胸が痛むことではあったけど、直接家族が被害にあってない奴は気楽でいいなみたいな物言いをされたのがきつかった。その後おれの福島の親戚の家が一階水没でえらいことになった時に気持ちのやり場に困ったが、東京で無傷だった人に嫌味を言える人の気持ちは全くわからんかった。今思い出しても腹が立ってしまう。



寝る前に読んでいた本の、実際さっぱり読み解けたとは思えずにともかく読み進めた部分を、灯りを消して目を閉じた数分後に突然意味が了解されたと感じられることがある。本の話の中に没入していた視点が自分の現実の生活の方にゆっくり引き戻されてくる中で、自分の中にもともと抱えていた問題と重なり合うように、おそらく半ば強引に自分の感覚に引き寄せて。

外部から得られる知識やセンスの獲得という段階はものすごく遅れてやってくるし、結局自分の頭だけで考えたことがまず重要なのであって、本をたくさん読んで賢くなった気でいるうちはむしろバカになっているということが往々にしてある。新しい道具を手に入れても使い方に慣れないうちは素手でやった方が効率が良い、というのと全く同じで、しかしそれでも先人の知恵の結晶である新しい道具を使いこなす練習をしておいた方が後々効率は上がってくるので、素手にこだわり続けるというのもまた進歩がない。
どんなに素晴らしいものに出会ったと感じても、いずれ自分の本質的な部分に影響してくる予感を温めるにとどめておいて、自分が簡単に劇的な変化を遂げたなどとは思わぬほうが適当なことが多い。