5月

5/6
三年ぶりのアルバム「travel intermediate」リリース。聞いてくれや!歌詞はSpotifyで見られるようになっているほか、歌詞サイトを後日開設予定。


"象の小規模なラジオ"リモート収録。象ラジチームはメディアというより友達の関係に近いけれど、それでも音楽に対して礼儀と愛情(と知識)を持った人たちから感想をもらうのは本当に嬉しい。何時間でも話していたかった。

"音楽と人"六月号に金光編集長がレビューを書いてくれた。誌面の内容ほぼ全てリモートで完成させたとのこと、大変だったろうな、、元々大変なんだろうけど。


5/7
Mikikiにて、桑原シローさんによるインタビュー収録。リモート。
公開された記事はこちら。
https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/25261?page=2


5/20
京都αステーション"KYOTO MUSIC SHELF"リモート収録。
パーソナリティをやってるnanoモグラさんと昨夏のツアー以来に話した。モグラさんはzoom用にデジイチをPCに繋いでいるらしく、顔が美麗に映っていた。


5/24
秋葉原CLUB GOODMANからよしむらひらく+畠山健嗣無観客配信ライブ。リハ(ビリ)も無しにいきなりワンマンの尺歌って疲れた、でも気分の良い疲れだった。客席からの反応は欲しかった。
グッドマンでは無観客配信ライブがけっこう増えてきてるそうで、カメラはもちろん、客席にもマイクを立てて盤石の体制で配信していた。帰り道になんとも言えず感情が高まった。
投げ銭をしてくださった方々、本当にありがとうございました。

この日の投げ銭の一口は普段のライブチケットの1/5の価格で、つまり普段のライブの来場者の5倍の人が投げ銭をしてくれないと回らないということになる。個人ではなくきちんとした施設からの配信ライブが新たな市場として成立するようになるのにまだ壁はあるけれど、現場の人たちが本気でなんとかしてやろうとしているのを実際に見られたのは本当によかった。そして演者は演者でもっとやることをやらないといけない。下手すると今まで以上に零細コンテンツが不要なものになっていきかねない。自分自身がより大きなコンテンツになるよう努力するのは当然として、大きくなければいけないという流れに抗いたいという気持ちもある。どれも根は別に新しい問題ではないんだけど。



すぐに「どいつもこいつもよお…」って気分になりがちだけど、自分がこの気分に入っていくのを許すこともひとつの差別の入り口になりかねない。"差別"というものを一言で片付けようとか、自分は差別なんてするわけがないと思い込むのは油断で、大きく観念的な面で差別主義から自分を遠ざけようとすることは存外にむちゃくちゃ難しい。というのはこれまでもよく考えてきたことだった。

そんで観念的な部分とはまた別に、歴史や地理に紐づけられる知識を得ないことには差別問題に向かい合うことはできない。できないなりに観念的な部分に逃げ込んで自分の潔癖を自分に向けて証明し続けようと躍起になるか、いちから学ぶことを始めるか、二択を迫られているように感じてしまうけれど、単純な二項対立に仕立てようとする時点でその姿勢もまた多分間違っている。

blacklivesmatterのハッシュタグで共有されることで単純なイデオロギーに落とし込まれてしまうように見える様々な個別の問題は、それでもやはりイデオロギーという数の力を頼まないと変えられない大きな流れとも当然強く結び付いている。果てしない。世界的な批判が高まっている、という空気が出来上がることはアメリカの白人全体にプレッシャーを与えることには繋がるのだろうけれど、そのうちのレイシズムに染まった人にとっては、泥棒が悪だというのと同じように自種族が高潔なものだということが自明のことであるのだとすれば、全体的な事態の解決とはいったい何のことを指すのかと、また頭を抱えてしまう。

ちなみに日本でよく取り沙汰される嫌韓嫌中、あれは差別といってもただの負け惜しみに近いもので、法に裏付けられないまま強く潜在している特権のあるなしに関わる問題ということでは、アメリカの黒人差別はむしろ日本においては性差別のほうが構造が近いように見える。構造が近いだけで、暴力の大きさや質にはまた違いがあるのだろうけれど。

考え始めることすらなかなか重労働だ。あらゆる社会問題について、それは他人事ではないんだという主張をする人の言がどう考えても正しいとはいえ、それぞれが個人的に生活のなかで抱える問題に優先順位を付けた結果、あるラインよりも低いところにある事柄のことを社会問題と呼んで処理しているのだとしか言いようがない。公倍数的にどれだけ多くの人に関わる問題であったとしても、個人にとって関連が薄いことだという見方に反駁することもなかなか難しいと感じられる。

胸を痛めながらも、「立場を取る」ことができずにいる人はたくさんいると思う。その照れ隠しのために「冷笑系」に属するのであればイケてなさすぎるとおれは思うけれど、そんな人たちにもまた当然それぞれの事情と優先順位があるのには違いない。